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2009年12月

本年の十大ニュース

森谷個人としての、今年の十大ニュースを考えてみた。ニュースと言うのだから、新しい事、今年始めて起こった事て、小田原と関係のありそうなものを選んでみた。

1 入院・手術 

 某病院で、某疾患のために、10日ほど手術入院。その後しばらく、ふらふら家で暮らしていた。一時生死をさまよった・・・(気がしただけ)。今は完全回復。おかけで体重がばっちり標準体重になり、以後これをキープしないといけない。食事に注意・・・と言う事で、自然食系に向かわないと長生きは出来ない・・・

2 環境再生ブロジェクト検討委員になる

 小田原の環境を再生しよう・・・と言う市の審議会みたいなものに応募。市民委員と言う事で、非常勤臨時職員なのだそうだ。定例の他に、調査やら、勉強会やらで、毎週のように市役所に行っている。

3 自治基本条例検討委員になる

 小田原の憲法・・・みたいな、地方分権、市民協同をつくる基本条例の制定のための市民委員に。環境再生にくらべても、さらに回数が多くて、なんだか大変。会議だけでなく、サポセン祭りにイベント参加までした。

4 なんだか、小田原の知り合いが急激に増えた。

3と4に関係あるのだが、なんだか芋づる式に地元の知り合いが増えた。小田原でも何かと「一言うるさい人」のネットワークの一部に接触したのだろえか・・・?

5 木工ろくろを習い始める

 年の初めから、A先生の所で木工ろくろを習い始めた。なんだか面白くて、月二回のペースだが、大分色々なものを作った。一年目なのに、年末には恥ずかし下もなく展覧会に出品・・・でも、お恥ずかしいものしか出来なかったのが残念。来年はちゃんとしたものが出来ると良いが・・


6 漆を習い始める

ろくろで木地ができても、そのままでは使えない。なんでも自分でやりたいので、漆も南足柄のN先生に習う事にした。11月に始めたが、今の所かぶれはしないので、一安心。自分で山から木を伐って、削って、漆をして、自分で用いる。活動の繋がりが完成すれば良い。

7 某高校の生物の講師に

 某高校の講師として、久しぶりに生物学を教える。少人数だが、授業は授業なんで、案外準備に時がかかる。全部、プロジェクターでやっているから・・

8 神奈川・東京以外の都道府県にいかなかった

 今年は、旅行も出張も研修も何もしないで、一番遠くまでいったのが、多分東京秋葉原・・ほとんど小田原か横浜で何かしていた。こんな年も珍しい。

9 市民ホールの予定地に花壇をつくる

 足柄の森のめぐみ のYさんと市民ホールの予定地に市民花壇をつくる。堅い石だらけの所を耕す所から始めて、なんとか短期間に花壇になった。

あれこれ工夫しているうちに、無耕起、無農薬、宿根草中心のいい加減花壇にする事にした。池もつくって何か生き物の住処になればと企てるがどうなるか。ついでの勢いで、広場の掲示板と堆肥の枠も間伐材でつくった。なんだかデザインが悪くて付近の風景にマッチしていない・・すいません。

10 FM小田原に出演・・

 なんのきっかけか・・・FM小田原の「らんらんラジオ」と言うトーク番組にゲストで出演。森の話をしてきた。久しぶりに、放送スタジオの雰囲気に囲まれ、昔の事を思い出した。また自分でラジオ番組をつくりたいな・・・


まあ、こんな所で10件になった。日々続いている仕事は、いっぱいあったけど、変化と言えばこんなものだろう。

来年は、完成させないといけない事が多くて大変だ。

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底上げ的手法とモデル事業的手法

底上げ的手法とでも言うのだろうか。

例えば、蛍の保全。どこか特定の池等を保全管理して、蛍を育成する。そこを出発点として地域の環境を改善していこうと言う方法だ。○○モデル事業、パイオニアプロジェクトなど名付けられて、各地によくある手法である。

テーマとして良く知られたキーストーン種、蛍、オオタカ、カモシカ、メダカ、・・・その他絶滅危惧種などを看板にして環境活動を展開する。

それに対して、底上げ的手法とでも言う方法がある。町全体の環境再生を広く推進して、その結果、どこかに自然と蛍が涌いてくる・・ような方法である。成果はすぐには現れないので、それまでは理念運動となってしまう。「いつか○○が普通に飛び交う町にするために、あらゆる所で環境を良くしましょう・・・」みたいな方法である。

中学3年の理科で生態ピラミッドを習うだろう。生産者、一次消費者、二次消費者・・・というあれである。トップに来る少数の生き物をキーストーン種という。高次の生き物を守るためには、底辺の生き物を広範に豊かにしないといけない。

一匹の朱鷺を生きながらえさせるには、大量の餌の生き物や、そのための広大な生息地を環境再生しないといけない。

生態学の知識があれば、環境再生は底上げ的手法が大切である事が分かる。農薬を減じて生物相を豊かにした広範な農業地域をつくれば、自然と今は貴重な生き物が再生してくる。

モデル事業的手法は、失敗事例が少なくない。「しりつぼみ」になりがちである。一部を楽園的に囲い込んでも、全体が悪環境では、囲い込み作業に労力を使うばかりになる。モデル事業方式には、どこか「自分達だけ」意識が見え隠れする事もある。

電気をつかった浄化装置のある池をつくって、どこかから移植した蛍を育てる・・・究極にはそんな事になりかねない。熱帯魚の貴重種を水槽で飼育しても自然再生とは言わず、むしろ破壊である。

環境は開かれた系である。一部を囲い込むと言う思考が入り込む時、失敗への道が敷かれてしまう。清らかな水が命を支える・・として、ペットボトルに入った「天然水」を常用する。それを買えない途上国の劣悪な水環境をさらに悪化させる事にならないのだろうか。モデル事業は、ともすれば、どこか差別思考が混じる。

自分は、ずぼらだから、水道水を飲んでいる。買えない事はないのだが、重たくて買い物が面倒なのだ。ボトルの処理も面倒だ・・・ そんな訳で、飲み水は水道水。風呂にはいった時に、蛇口から直接水道の水を飲むのが一番美味しい。まあ、病気の原因になっているかも知れないが・・・

みんなが飲む水道が、安心で美味しくて、誰も水なんて買わなくても済む。あるいは、各家の井戸からきれいな地下水が組み上げられる・・・そんな環境を目指したいものだ。

健康食品が特定の店で販売されているのでなく、どこの八百屋でも有機無農薬栽培しかない・・・そんな世の中こそ目標にすべきだ。モデル事業は、モデル(ひな形)なのだから、いつかは全体に及ぶものである筈だ。

モデル事業を批判するような書き方をしたが、否定している訳ではない。緊急の場合や、遺伝子の連続が途絶えそうな時には、囲い込みをするような手法も必要である。ただ、モデル事業だけが独立的に乱立しても何もならない。

全体的「底上げ的手法」と「モデル事業的手法」が、うまく統合されて高次の計画がなされれば、一番良い。より高い思考次元に立たないと、物事はうまくいかない。

新幹線を降りたら、駅の裏で蛍が乱舞している。「町中たんぼ」で朱鷺が餌を探している。どんな回り道をしてでも、小田原がそんな町になって欲しいものだ。

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南足柄市と箱根町を連絡する道路・・・

12月29日

「南足柄市と箱根町を連絡する道路について皆様のご意見をお寄せください。」

とのパンフが回覧でまわつてきている。市役所などにもカラー刷りのパンフがおいてある。

箱根町と南足柄市を直接つなぐ道路を山の中につくる計画だ。第二回目の意見募集で、1回目の意見募集の集計も掲載されている。南足柄市と箱根町の間には大きな山林地帯があり、久野を通る広域農道と足柄幹線林道を回っていくのが現在は一番近いコースである。

目的は、災害時の迂回路や、観光振興のようだが、どうなのだろう。やみくもに反対とか言うつもりはないが、費用対効果、壊してしまうもの、失ってしまうものとの徹底的な比較をするべきだろう。

林道を拡幅する案や、トンネルを掘る案や、今の道路を拡幅する案まで、5つの案についてセンサスしてある。最大200億円の費用がかかる。

200億円の費用で、ここらの森を徹底的に手入れして生き物の豊かな森にする。それを観光資源にして、さらにグリーンツーリズムののような業を盛んにする。そのような投資と、この道路による恩恵や壊してしまうものなどを冷静に比較判断して考えるべきだろう。

足柄幹線林道は、秋など絶景の場なのだが、そんなに人が通るわけでもない。みんなで、ここらの山をよくよく歩いてみて考えてはどうだろうか。

1月15日まで、意見募集をしているので、自分なりの立場で、意見をおくってもらいたい。HPから書き込める。
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/doroseibi/douro/nanhako_pdf/nanhako2.pdf


http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/doroseibi/douro/nanhako.html

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片付けばっかり・・・・

12月28日

船原ため池

朝方、所用の途中に久野船原のため池によってみた。冬の様子はどんなものか。困った事にゴミが捨てられていた。たき火をした残りの灰と燃え残りを2箇所に捨ててある。流れ込んでしまったら池の水が汚れてしまう。特に金属片などが、少しでも泥の中に混じってしまうと、泥に入って掃除をするなんて事になった時に、とても困る。

このため池は、いつくかの所で、再生して生き物の住処にしようと言う話が進んでいる。そんな前向きな話以前に、ゴミ捨て場にならないような策を考えないといけないようだ。

確かに誰も手をつけておらず、管理者がいないと思われてしまうと、ゴミ捨て場になってしまう。そんな意味でも、時々は手入れをしないといけない。笹払いだけでも早めにした方が良いと思うのだが。

夏は、緑に隠されて、汚れや欠点があまり見えない。冬の方が剥きだしの地面が見えるので、ゴミや基盤の問題は見つけやすい。動植物の観察は夏や春が面白いが、地面や土壌の調査は冬が良いようだ。とりあえず、ゴミ拾いだけでもしないと・・・・

久野川の事 続き

昨日、久野川の事を書いたが、今日またKさんからメールが届いて、星山橋の下側で、油の流出が見つかったとの事だった。行政に対応してもらい、中和剤処理などしたとの事だ。川の工事の業者が、20リットルばかり、オイルを漏らしてしまい、そのまま隠すように埋めておいたらしい・・・・自然再生とか2000年代の感覚どころか、1970年代の公害問題時代の様相で・・

片付けばっかり

大掃除ではないが、この所大片付けばかりしている。工房も書類も家財も多忙のために散乱状態をなんとかエントロピーを下げる努力を・・少し所有物が多くなりすぎて、このままでは片付けだてしていて、何も新しい事ができなくなりそうな・・・なんだか、公共工事のやりすぎで、メンテ費用のの蓄積のために新規事業が出来なくなりつつあるどこかの国にならないように、ちいと工夫をしないといけない。゛゛当分片付けばっかり・・・・

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久野川の浚渫?

久野のKさんから、「久野川破壊される」とのコメントがMLでまわってきた。さっそく現場を見に行ったが、写真のとおり「きれいに」川族が整理されてしまっていた。小田原市久野の星山橋付近である。

先の調査の時に、色々と魚や水生昆虫がいたのだが、埋まってしまったようだ。

Kさんの写真を引用させてもらう。


いろいろコメントしたいが、雑多な内容を、項目ごとに列挙してみたい。

1 同様な工事は、(浚渫工事と言うのだろうか)は、近くの久野川橋付近でもさらに長い区間の工事がなされていた。もっと下流の山王川となる部分では、何年か前に同様な工事をしていたのを記憶している。

2 このような川の工事は、この種の構造の河川では、定期的に行う事が計画段階から織り込まれているものと思われる。慣行の河川工学や水理学では、物理的な形状だけで、数学的に水の管理設計がなされるので、川底の様子は単純に「抵抗値」としてしか要素として係数として扱っていないのではないか。要するに、川の土砂や植物などは、はどぶや「下水管」の「つまり」としてしか考察の対象になっていないのではないか。

3 このような工事で、「きれいになった」「すっきりして洪水の心配が減った・・」と受け止める住民もいるだろう。このような工事を要求する市民もいる。散らかっていたゴミも、適当に埋め込んでしまうから、見かけはすっきりしてしまう。春になれば、それなりの植物が斉一に生えてくるので、みかけきれいだったりする・・・魚や水生昆虫などの事は殆ど想像外だろう。

4 「ダイナミズム」「エコトーン」と言う用語を、どれだけ土木関係や都市計画の人達が知っているだろうか。生物多様性から言えば、川は曲がりくねって、流れの速い所や遅い所、浅い所深い所が、色々存在して、より多くの種類の生物が生息できる。

このような自然による不均一性の生成をダイナミズムと言う。自然再生工学では、ダイナミズムの再生が、最初に課題となる。

そうすると、川でも砂浜のように段々と深くなる滑らかなな滑り台状の環境が作られる。そんな所は、生き物にとって丁度良い産卵地になったりする。このようなものをエコトーンと言う。

今回のような工法は、ダイナミズムとエコトーンを完全に否定してしまう。こんな言葉ひとつでも、まるで普及していない。工事の発注者や施工者など、どんな理解なのだろう。

5 久野川は、もともと曲がりくねっていたものを、真っ直ぐに改修した今でも河川である。今でも洪水の危険は常にはらんでいる。洪水の危険性と、生物豊かな河川を両立させるには、周辺の都市計画をやり直して、幅広い川を再生しないとならない。これはかなり困難な事で、当面はどこかで折り合いをつけなくてはならないのだろう。

ただ、そんな場合で、生物への影響を最小限にする手法もないではない。一度に一斉に工事してしまわず、半分づつ、時期をずらして行ったりする場合もある。右側だけを工事して、左側を残したりするのである。そうすると、生き物が片方に避難して、回復した頃に、残りを工事する・・・そんな方法だ。無理難題なりに、わずかでも生物に配慮した工事と言うのはあるのだ。

6 春に調査した時にも写真を撮ったので、較べてみたいと思う。普段から細かく調査したり、写真をとったりしておけば、こんな時に、事前、事後の比較資料を作成する事ができる。久野川全域に、俯瞰図になるような連続的な写真やマップや調査などを蓄積しておけば、このような工事の影響を客観的に提出できる。継続した定点観測は大切だ。どこか定点を決めて、分担して、久野川の写真だけでも残していきたい。

7 話は跳ぶが、こんな事が「地方分権」の具体的な目標になる。久野の川だが、管理は県でやって、多分住民ではない担当者が記録と図面だけを見て、予算の都合によって適当に工事を割り振っていくのではないか。だから、現場の必要性とはかけ離れた期末駆け込み工事みたいな、ばらばらな工事が行われる。

入札で業者が決まるのだろうから、地域の生き物の事など何も知らない施工者が、未知の土地で工事をする事になる。近くに住み、地域の自然を知り尽くした者が、細やかな手入れを行っていけるシステムが大切だ。地方分権とは、そんな身近な事なのだが。

急な曲がりがあり、確かに洪水の危険性がある所は、ほっておかれて、そんな緊急性のない場所が、無用に大規模工事されたりする。

身近な環境は身近な立場で管理していける行政システムが環境問題解決には必須である。もちろん、河川などは市町村を越えて、広域に流れるので、広域行政も大切である。広域性と、地域性を「滑らかに体系的に繋ぐ」行政システムが必要なのだ。

8 先日配付されたハザードマップによると、我が家は久野川が氾濫すると床下浸水する地域になっている。洪水の危険と、普段川で釣りが出来る楽しみと、どちかか良いかと言えば、自分としては生き物が豊かな川を望むが、近隣の人達はどう思うかである。こなんな川の事ひとつでも合意形成がかなり難しい。

子供時代に住んでいた土地は、毎年洪水になって床下浸水が年中行事だった。はじめっから、戸棚の低い部分には大切なものはしまわなかった。洪水が引けば、すぐに川で遊んでいた。そんなワイルドな感覚の子供達も皆無だろうから、こんな事ひとつでも難しい。

9 最近は、河川に対する政策も少しずつ、自然再生の概念を取り入れつつある。引用の横浜鶴見川の総合計画を見てもらいたい。不十分なものだが、それてもビオトープ的な手法は所々に取り入れている。久野川、小田原の川についての、総合計画を作り上げる事だ。その中に、自然再生工学(真似事でない真性の)を取り入れてもらいたい。目標がそうなる事だけで、日々の管理にも少しは、配慮がなされる事になる。
http://www.pref.kanagawa.jp/osirase/kasen/tsurumi/tsurumikasen.pdf

10 いずれにせよ、近くの住民の川への思いが厚い所では、自然再生と防災を両立させる手法をとる事ができる。川に子供の頃から親しみ、こまめに清掃して、川の様子を常に細かく監視する住民の層があって始めて、自然豊かな川は保全される。無関心で、国や県にお任せで安易に済ませるならば、一斉工法のこんな河川管理手法を受け入れざるを得ない。

今後どうなるのだろう。いや、どうしなくてはならないのか。坊所川との「出会い」の部分から上は、少なくても洪水の危険より、自然の保全の価値の方が釣り合いとしては高いと思う。そこらを、科学的に証明して、資料が作れれば良いのだが。

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森のなかま・枝打ち

12月27日

「森のなかま」は第2、第4日曜日が定例活動日なので、2009年は最後の作業だった。まあまあうららかな年末の一日で、寒くもなく枝打ち日和・・・だった。現場は丸塚南。青少年の家の近くの林分だ。JRの高圧線の線化を細長く枝打ちをしていく。

それにして、枝打ちを適時にしそこなった手遅れ林分は、やっかいだ。枝打ちの方法が教科書的に理屈通りにならないものが多いからだ。枝が太くなりすぎてからの枝打ちになるので、切り口の面積が大きくなりすぎて、どこで切断して良いか迷う事が多い。

適時、適作業。自然相手の仕事は、年次と季節に合わせて、手入れの長期計画を立てていけば、労力すくなく、効果も大きい。森づくりは、長期計画づくりだと言われる。

さて、林床をみたら、ところどころに土を掻き出したような穴があった。モグラとは違う、土の出し方だ。どうも、ネズミらしいが、どんな種類のネズミなのだろう。地面の下をせっせと掘って、森林土壌生態系を撹乱により豊かにする機能は、ミミズとモグラの他に小さなほ乳類も担っている。

穴から出てくる所を見たいものだが、人がいてはまず出てこないだろう。作業の合間に、こんなものを見つけるのも面白い。穴の写真をとりそこねた。今度は撮っておく事にする。

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民と公の一般理論

事業仕分、指定管理者制度、駐車場の有料化・・・小田原ではそんな話題が盛んだ。

入り乱れた議論で、全体に筋の通った議論にならない混乱状態に思える。要するに「公と私」の関係に集約されるべき部分項だ。

公と私、一例として国と私企業の関係でも歴史的には変遷してきた。JRはすっかり私企業の様態だが、少し前までは、お役所仕事の最たるものだった。郵政が、どっちつかずで、ふらついている。古くは、製鉄や運輸も国営だった。ペリカン便の日本通運が、元国企業であった事を知る人は少ない。

アメリカでは民営の陸軍学校があったりする。刑務所を民営化したり、駐車取り締まりの一部を民間でやったり・・いろいろだ。

よくよく考えると、税金払うのと、NHKの視聴料を払うのと、国民年金を納入するのと、民間の保険料を支払うのと、個人的には、何がなんだか、同じような違うような・・良く分からない。

もともと、「公」なり「国」なりは、歴史のどこかでの発明品である。市町村なり県なりも、歴史は古くはない。NPOでも、独立行政法人でも、指定管理者でも、近年できたての発明品である。

そんな発明品の実体のないものを、実体があるように思い込んで、それらの間の関係を妙にいじくっている議論が、事業仕分けだったり、民営化論だったり、市民協同論だったりする。

もともと、私と公は連続的で、流動的なものだ。一人で自分部屋にいれば、「私」の空間だが、家族となると、すでに「公」は始まっている。夫婦の関係でさえ、私でなく民法という「公」に繋がる。

企業がすべて金儲け主義で、行政はみんな非能率で、市民団体はみんなばらばらで・・・とか、定型的イメージで論じるのが一番いけない。

社会貢献が基礎の企業もある。ソーシャルビジネスと言う手法も育ちつつある。行政マンの中にも企業家精神のある人もいる。企業でも大きいとお役所以上に、硬直的な組織形態をしたものもある。儲けすぎで非難された財団法人もあった。

公と私は、表面的な法律論や、組織論では括れない。新たな公と私に関する一般理論が必要な時代になっている。

現場では、公も私も関係ない。まずは自然があって、現場の問題がある。森林の保全作業などを例にとってみよう。時には、同じ林分を、市民団体と、森林組合と、個人企業と、国や県が入り乱れて作業をする。

あまり大きくて、市民団体の手に負えない巨木があると、組合や企業にまわす。経済的に回る部分は企業が請け負うが、残りの隙間を市民団体がこまめに分担したりする。ようするに、森をまもるのが大切で、誰がやると言うのは、後から工夫してつくっていくものだ。

巨視的には、問題が先に存在して、任意団体でも、NPOでも、組合でも、行政連合でも、なんとか法人ても、適当に制度設計していけば良いのであって、公と私の中間領域があるならば、適当に埋めて行けばよい。

国、県、市町村、企業、市民団体などが、それぞればらばらに勝手に独立して進める。これは、一番いけない。次に、それらが「協同」していく方法を考える。一歩進んでいるが、これはあらゆる混乱のもとで、迷いの世界としか言いようがない。2番目によくない。

一番正しい方法は、現場という、公も私もなく混沌とした問題群から思考上、再出発する事だ。そんな手法を支えるだろう哲学が、古今東西、登場してきて、時代の乗り越えに使われてきた。

それらに基づいて、公と私の一般理論を構築しない限り、世界の混乱は続く気がする。民族紛争でさえも、大きく言えば「公と私」の関係だろう。そして何よも大切で、みんな気付いていない事が、「単位」の事だろう。構造性と集合性との関係もきちんと区別して議論しないといけない。

これから、ゆっくり、これらの一般理論を組み上げてみたいと思う。


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木工ろくろと市民花壇の世話

12月23日 とてもうららか、暖かなな日差しの一日

朝から、木工ろくろの先生の工場へ。ヒメシャラの小鉢と、山桜のお皿を作った。木目の読みを誤って、大きな傷を作ってしまい、どんどん削って、小さくなってしまった。下手くそなので、同じものは二度と作れない。これでは、職人技にはならない・・・

小田原では、唯一「旋盤ろくろ」をやっている先生だ。代々の職人の家で、大きなものづくりでは、世界的な先生だ。一般の人に教室をやっていて、趣味の人からプロまで、仲間がいる。こんな形でも、伝統工芸が少しでも伝えられていけば良いと思うので、興味のありそうな人を見つけると、見学に来てもらっている。

自分で、地元の木を伐って、製材して、ろくろでひいて、漆を塗る。一連の計画が、今年中に完工・・と言うわけに行かなかった。漆が「ふろ」で、まだ乾燥作業中・・・正月料理を盛る・・には間に合わなかった・・

午後からは三の丸市民花壇の手入れに。市民ホール建設予定地にボランティア団体で、作っている、自称「ビオガーデン」なのだが、ちょっと行っていなかったので、苗やら同具やらもって作業に行った。

霜が一度降りたのか、さすが12月で一年草は命を終えていた。ただサルビアだけは、最後まで色づいている。最近は、冬も咲き続ける宿根草が、増えてきたせいで、冬も色ととりどりの花壇か増えている。

水仙だけが、冬の彩り・・と言うのも良いのかも知れないが。

池に、セメントで防水工事。春に水たまりにカエルが卵を産むのを期待ているいのだが、どうだろうか。無耕起、無農薬、化学肥料なしの花壇なので、近くの桜の葉っぱをもってきて、大量に敷き詰めた。

よその花壇より、なんとなく土に勢いが出てきた様子なのだが、普通の人の目では、ごちゃ混ぜ花壇に思われるかも知れない。レタスが冬の花壇に、緑色合いを与えている。野菜利用の花壇も面白い。

予定地がなんとなく汚い・・という意見も聞いた。確かに、ゴミを整理してないし、歩道の落ち葉掃除もしていない。やる人もなさそうなので、暇にまかせて、歩道の落ち葉掃除と、ゴミ集め。葉っぱに花壇に播いた。

芝生は、イヌの散歩の人が多い。建設までの暫くの野原なのだが、もう少し、見栄え良くしておく方が今後のためにもよろしい。たまには、掃除にいくか・・・

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自治基本条例8回検討委員会

12月18日

自治基本条例8回検討委員会が行われた。主なテーマは議会と議員。元議員の委員から、議会の裏舞台の生々しい話など伺い、議論は盛り上がった会だった。住民投票については、あまり突っ込んだ意見は出なかった。でも小田原では議会がかなりの関心事であるのだろう。

一番の問題は、情報を公開するタイミングだろう。「議題」の公表、「議案」の公表、「議事録」の公表・・・などのタイミングが悪いと、市民が傍聴にいったり、前もって意見を申し立てる事がやりにくくなる。行政執行部から議会への提出、議会からの公開、広報の技術的な制約などがあって、ともすれば「知らないうちに決まってしまった・・・」と言う事になりやすい。物理的な制約の上に、「知られないうちに、うまく通してしまおう・・・」と言った心理が働けば、市民意識から離反した決定がなされる事になってしまう。様々な制約も理解できるが、やはり出来る限り積極的に何事も公開していく姿勢が大切なのだろう。

詳しくは、議事録をみていただくとして、自分の述べた意見を記しておく。

まずは、議員は全体の奉仕者なのだろうかと言う事。議員には会派や政党に属している。また支持者や地域の地盤をもっている。大半の浮動層には特定の議員との繋がりはない。そのような市民からの意見をどの議員でも気楽に受けてもらえるのだろうか。

極端な話だが、例えば市役所のロビーの一角に「議員窓口」みたない場所があって、議員が輪番で市民からの相談を受ける。そんな方法があって当然だと感覚的に思うのだが、どうも現状は違うらしい。

情報共有というのは、本当は回転式帳簿台のようなものだと思っている。昔は、会社には机のまんなかに回転式帳簿台があって、そこに経理やら日程やら様々な帳簿がある。回りに営業や経理担当や在庫管理や様々な役割担当がいて、帳簿を回して取り出しながら参照したり、書込をしていく。いわゆるデーターベースだが、これが情報共有の原型だろう。

もちろん、基幹システムとして今は実現されているのだが、もっと高度な政策策定の分野で、このタイプの情報共有をしていくべきだ。回転帳簿にあたるのが、総合計画から細部の規則までの情報だとすれば、読み出したり書き込んだりするのが、市民、行政、議会などになる。現代のIT技術を適切に用いれば、リアルタイムで政策がすべての人の目の前で決定されていく過程が見えるようになるだろう。

そんなシステムにどんな名前をつけたら良いのだろう。共有、共担・・・から進んで「共作」なんてのはどうだろうか。

今後の検討日程も話し合われたが、どうも今後詰め込みで議論をしていかなくてはならないようだ。前半のんびり過ぎたのかも知れない。

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自治基本条例7回検討委員会

12月4日 

第7回自治基本条例検討委員会が開かれた。少し混乱気味・・・自治基本条例に対する批判的な意見や、オープンスクェアへの参加者の減少などを気にしてか、議論の進め方や運営方法などについて意見が錯綜した感じだ。


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理科部会 分岐分類学 研修会

12月4日 
神奈川県高校教科研究会理科部会の研修に小田原高校にいった。

「遺伝子解析は分類学を救うか ? 」とのテーマで東京大学大学院 農学部生物多様性研究室 の 谷川明男 先生の講義。

最初に、最近の遺伝子解析の実験手法を細かく示してもらって、きわめて簡便になっている事に驚いた。最近は山歩きばかりの生物学に傾いて、暫くの間に「浦島太郎?」になったような気もする。DNA抽出から分析までの具体的な解析方法をみると、デジタルなデーターの裏に隠れた、様々な不確定要素がある事が理解できた。

分類学は、どうも大家の職人芸になりがちで、科学になりにくい・・・そんな学問にとって救世主になりうるのか・・・・

どうも、塩基配列から分岐を導き出す過程で使われるアルゴリズム等からしも、機械的に結論が出るものではないようだ。ある程度の仮説や主観的なものを入れざるを得なとの事だ。本来分類学は人の頭脳の中にあり、自然の構造の反映である塩基配列と一意に合わない・・が、先生の悟り的な見解だそうだ。

「分類の基準になる形態の違いを決めている遺伝子を関連づけて解析できないのか。」・・浦島太郎的に初歩的な質問をしてみた。そこまで出来たら面白いが、現状ではまだ始まったばかりの学問であるとの事だった。遺伝子解析を使った分類学といっても、どうも遺伝子に書き込まれた歴史のすべてを分析している訳ではなく、単にマーカーとして一部の遺伝子配列を用いているだけのようだ。

でも部分的には、このように明快に答えの出る学問は、自分としては好きだ。野外で、装置をちょっと葉っぱに触れさせると、直ちに種名を答えてくくれる機械・・なんてのが出来たら、有り難いのだが・・・

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環境再生プロジェクト検討委員会勉強会

12月3日

環境再生プロジェクト検討委員会の勉強会。

 

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