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2011年8月

8月20日 里地里山 野あそび体験

8月20日 美しい久野里地里山協議会主催の「野あそび体験」に午前中だけ伺いました。ちゃんと手伝わないといけない立場ですが、遅刻していって、早上がりで申し訳ありませんでした。

まずは、竹を伐って工作の材料にします。
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本日のメニュー。盛りだくさんの楽しいものばかり・・

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竹細工で、箸や串や食器・・ちょっとアートもありました。

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水路で鮎のつかみどり。数匹、逃げてしまいました。石の隙間の鮎を追って、みんな夢中でした。

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摑んだ鮎を自分達で作った串にさして、みんなで焼きました。最高の味・・・

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鮎の他、トウモロコシ、ジャガイモ、ナス、食材たっぷりです・・・


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高級食材、鶏の丸焼き。たき火にダッチオープンでの調理は最高の味です。こんなのがいっぱいたべられ、会費1000円です。安いでしょう・・・


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臨時にはったワイヤーで楽しみました。その他、遊びは盛りだくさん。


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食べ物いっぱい、遊びもいっぱい、楽しく遊んでくれる人達もいっぱい。参加者がもっと来てくれたら、もつと楽しくなります。来年は、みんな沢山来てください。

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日本生態系協会で、次のようなフォーラムが行われます。興味のある方はご参加ください。定員締め切りですので、お早やめに。

詳しくは次から

国際フォーラム2011

パンフはこちら

 パンフ


なお、昨年の講演録は下記より参照できます。

2010年講演録

国際フォーラム 復興から見える新たな日本の創造

日  時  平成23年9月13日 火曜日 13:00〜17:40(12:30開場)

会  場  津田ホール(東京都渋谷区千駄ヶ谷)

主  催  財団法人日本生態系協会

対  象  自治体リーダー、国会・地方議員、行政職員、企業、研究者、
               NGOなど、災害復興や自然と共存する持続可能なまちづくりの取り組みに関心のある全ての個人・団体。

参 加 費   無料 ※参加には事前申し込みが必要です。詳しくは申込方法をご覧ください。
定  員  450名 (事前申込み制、先着順)

■プログラム(予定)
                
13:00  開会 (12:30 開場)
13:15  基調講演  『本能から叡智へ − 対決から自然との調和へ』   
     (財)日本生態系協会 会長 池谷奉文 

13:50  海外報告1 『減災と自然災害からの復興における原則』 
      国際自然保護連合(IUCN) 上席科学顧問 ジェフリー・マクニーリー氏

休憩   14:50−15:10

15:10  海外報告2 『アメリカにおける自然災害後の持続可能なまちづくり対策』 
     米国 ミズーリ州緊急事態管理庁 副長官 ティム・ダイムラー氏

16:10  被災地からの報告  
    『「利府町復興元年」−これまで以上に素晴らしいまちづくりのために』
宮城県利府町 町長 鈴木勝雄氏

16:40  被災地からの報告  
    『二度と津波による犠牲者を出さない − 復興における大命題』
     岩手県山田町 町長 沼崎喜一氏

17:10  総括  東京都市大学 教授 涌井史郎氏

    17:40  閉会
    18:00-19:45  懇親会(参加希望者のみ)

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ソバの種まき+物見櫓

8月28日 久野和留沢の荒地で美しい久野里地里山協議会主催の蕎麦作り体験教室の種まきが行われました。また同時開催の「物見櫓」の組み立てイベントも行われました。

蕎麦作り教室は種まきから収穫、蕎麦打ち体験まで一連の教室の一回分。ソバは成長の速い作物。10月には収穫が予定されています。
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ここは、昨年まで放置された元農地。環境再生プロジェクトの事業のひとつとして、再開墾されました。主に和留沢の地区の方達が中心になって再生が試みられています。


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物見櫓・・・は、要するにツリーハウス。伝統を重んじる趣旨から、日本語で表現。イノシシやらから作物を守る見張り台・・とか、宴会・・の場所にするとのこと・・・


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作り方は日本の伝統工法。技術を継承されている棟梁をお呼びして、地元の若い大工さん達が中心で作っていきます。この企画の最終目標は「小田原城木造再建」。木造再建のためには、伝統の木組みの工法や地元の木材生産・製材などの技術を継承・発展させておく事が必須。そのための第一歩となる取り組みとの事です。


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加藤市長も見学に来られて、思いを語られました。製材、加工、農業、福祉、商業者・・さまざまな立場の人が加わった輪で、このようなイベントも進められています。

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様々な立場の方が、小田原の奥深くの山中に集まり楽しみながら語り合いました。某お菓子屋さんの即席の茶席もできて、なかなかの風情です。


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本格ピザ釜もつくられて、海のさち、里の幸・・高級食材によるバーベキュー。今日の仕事の労いに乾杯。


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組み立てが終わり、全体の姿が現れてきました。さらに組み立てを進め、板を貼って物見櫓は完成するとの事です。


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若手の大工さん達が今日の完成を祝って記念撮影。棟梁にはっぱをかけられながら、苦労の末、完成。

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ここは建造物はまったく視界に入らない土地。小田原の最奥地・・・の名勝にたつ立派なランドマークになっています。ものみやぐらが完成してソバの花が咲いたら・・また取材してご報告いたします。

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森の気まぐれ3人展

小田原山盛の会の川島さんから展覧会のお知らせが来ています。ご紹介します。

2011年8月31日(水)から9月5日(月)まで

10時 から 6時30分 (最終日は5時まで)

ギャラリー新九郎 伊勢治書店3階
  0465-22-1366

第17回 森は棲か
森の木まぐれ3人展

陶器 川島範子
染色 椎野まさ子
彫金 石田昌子

木工品の販売もあり ベンチ 椅子 小田原山盛の会

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どうぞお出掛けください。


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山本理顕 地域社会圏

山本理顕氏がNHKのエル・ムンドに出演して、震災復興のための仮設住宅への提案をしていたのを見ました。

「仮設住宅などでは、プライバシーを重んじて、入り口が向かい合わないように配置する事が多い。これは人と人との交流を妨げて、コミュニティーとしての生き方を阻害してしまう。互いの生活がある程度、見えるような作り方や、共有空間「広場」をも配置しておくべきだ。」・・・こんな概要でした。

確かに、一律的に建設されるプレハブ住宅・・は、人の暮らしについて、あまり考慮していない建物です。それを改良するプランは、一歩前進でしょう。

山本理顕氏のこんなプランも「地域社会圏」という考え方から出ているようです。「一家族・一住宅」と言う住み方は近代のもので、古くは様々な社会単位での住み方があった。これからは、新たな地域社会圏という単位で建築を考え作っていかないといけない・・・」そんな概要です。地域社会圏という考え方
同2

貴重な論で、汲み取るべき事項は少なくありません。しかし、欠落している大きな視点があるように感じます。

まず、一律的プレハブ住宅も、対面型の地域社会圏的住宅も、「建築家あるいは都市計画担当が社会の在り方を決めようとする」点では同じ地平にあります。

建築家は、いつから建築の技術者・職人から、人々の生き方まで支配しようとする政治家になってしまったのでしょうか。

住み方・・・生き方・・・は住民そのものが決めるべきことでしょう。そして個々に異なるものです。

隣人と隔てのない長屋生活をしたい人もいるでしょう。高度にプライバシーを守りたい生き方もあるでしょう。時代は「多様化」の時代です。そして生き方も、ひとりの生活史をみても変化していくものです。若い時代に閉鎖的な生き方をしていても、年齢とともに交わりを重視する生き方に変わるかもしれません。その反対もありえます。仲良くなったり、喧嘩をしたり、家族でないものが家族になったり、その反対の動きがあったり、人の暮らしは流動的に気まぐれなものです。


安易な相対主義に陥りたくはないですが、外的に人の生き方を規定する社会システムから、内的な実存を模索してきたのが近現代の潮流です。これからは、多様性の時代、そして「多様性の多様性」の時代になるはずです。

このレベルでの思考が地域社会圏構想には抜けている気がします。多様性への対応を技術者として取り組むのが建築家の役目だと私は考えています。


仮設住宅に住むであろう人々は、多様な生き方をもっていると思います。その生き方の多様性や、時間的変化に対応できるように、自由に、気楽に入り口や窓の位置や、間取りや、建物そのもの・・・でさえ、フレキシブルに、変えていけるような、建築モジュール、部品を発明する方がどれほど人々に喜ばれるか。


何よりも人は自己決定権を行使できた時に、最大の努力を自らするものです。例は悪いかも知れませんが、戦後のバラック・・などは、それなりに自らの決定で建築をしたものでしょう。

山本理顕氏の城下町ホールの設計が小田原の多くの市民に拒否をされ、説明会でも、氏は「広場の思想など深い所での理解をされずに残念である・・」との事でした。ホールの奇抜さや使い勝手の問題などの問題でなく、市民の自己決定権という点で、好ましくなかった。

さらに、多様性の多様性という視点が欠けていた事が決定的な深層での要因だったのではないでしょうか。多様性の多様性とは、時代が封建時代から近代に置き換わるとか、家族主義や個の時代から地域社会圏のような時代に変わっていくとか、そんな歴史観ではない時代にこれからなっていくとの視点です。

これからは、古代や封建時代の生き方と近代の生き方、さらに超個人主義や、画一主義社会や、市民社会や、生き方の括りそのものが多様化していく時代になると私は考えます。

その時代の変化に対応できる、フレキシブルな広い意味での建築素材を提供して、住民の自己決定に対して技で応えるのが建築家の仕事だと思うのですが。

も/あ

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植樹イベントの謎・・

植樹イベント、特に子供達向けのそれは、やめた方が良いと思っている。

ある時期、日本中がはげ山のようになり、木を植える事が国民的大運動であった時の名残りなのだろうか。また、特定の主唱者からの流行が続いているのだろうか。

植樹のイベントを手伝わせてもらった事があるが、なかなか心が痛むような事が多かった。

まず、適地適木 ではない、こんなので育つだろうかと思える樹種が無造作に植樹される事が少なくなかった。主催者が安易な考えで入手しやすいだけで苗木を選ぶ事もある。

次に、植えるだけで、手入れの事はまるで考えていない場合が少なくない。植樹した後に行ってみると、草に覆われたり蔓がからまっていたり、育てるつもりがあるのか、主催者も植えた人達も、木の事など忘れているように見える。それとも、植えておけば何もしないでも、大人になった時に大きく育った木に出会えると言うつもりなのだろうか。

生き物を育てると言う事は、最後まで責任をもつ事を教える義務があると思う。安易なペットの飼育で動物が虐待されたり、大きくなって捨てられたりと、生き物飼育に対する心構えを、きちんと理解してもらう教育が必要である。動物はもちろん、植物でも同じとは思う。木も植えたら、その後手入れをする前提なら、植樹も少しは教育効果はある。

また、生態系の中で育てると言う、一番子供達に伝えたい事が、植樹イベントにでは伝わらない。

ひどい場合には、植樹イベントのために木を切り払って、更地にして、芝生にしたような所に植樹をしたりする。苗木は、子供達が拾ったドングリをポットで育てたりものだったりする。いったい森の生態系の事を多少でも分かっているのか謎に思う事がある。

森を育てるには、自然の更新力を活かす事が大切だ。イベントで植樹した苗木の近くで、もっと適木と思われる種の幼木が芽生えていたりする。植える時に、近くの植生など観察しないのだろうか。

自然の芽生えを見せてあげる方がどんなにか教育的な事だろうか。森は適切に伐る事で育つと言う面を是非とも教えたいと思っている。これは、自然観の教育の問題である。安易な植樹は、植木鉢で花を育てる教材と同じで、水や肥料などを人が「あげて」、完全コントロールするという工業的農業を支える科学観を意図せずに与えるものだ。

もちろん、作業をうまく組み立てて、植樹を立派な教育にしている事例もある。また、人間により砂漠化した土地や、公害によって荒れた土地に、適地適木で植樹をしていくような、適切な植樹もある。それを市民の手で行い、保護者につれられて一緒に仕事をするなどと言うのはきっと子供も得る事かあるだろう。

特に、行政や団体で、お祭り的に植樹行事をする時など、子供達はまったく利用されているばかりだ。来賓に子供が花束を渡す役みたいなものだ。稚魚の放流でも、花の種まきでも、花壇の花植えでも、なんだか大人の満足のために子供が利用されているようなイベントが少なくない。


子供達に本物を与えたい。もっと骨太の自然観を与えたい。もっと森の中を危険に対応しながら歩いて、木か倒れて、その隙間に、次の芽生えがそだったり、競争で枯れていったり、そんなダイナミックな森の世界をしって、その上でどうしても木を植えた方が良いと知ってから、育てる事を前提を子供達と木を植えてみたい。


また子供達にドングリを播いて育ててもらってから、どこかそれを植えるられる森はないかと相談される事がある。今、木を植えるべき森はそんなにない。伐るべき森の方が多いかもしれない。不適切な人工林を伐って、天然更新させた方が好ましい森の方が多い。

子供達に植えて欲しい場所は、街の中だ。学校の中だ。街の中、子供達の育つすぐ側に樹木が足りない。木登りしたり、木の実で遊んだりできる樹木が街に少ない。植えて、自分で育てて欲しいのは、街の中だ。自分達のために。

子供達と、街のどこに、どんな木が欲しいか、調査をして地図をつくって、自分達の木を近くに育てていく。そんな事ができた時、植樹は本当の教育になる。そのための都市計画や、そのための公園管理など、大人のしなくてはいけない事はたくさんある。そんな事を解決してから、子供達に植樹をしてもらいたい。安易な事は何事も良くない。

植樹、特に子供達に植樹をしてもらう時は、次の事を最低限満たしてもらいたい。

 ○ 植える場所の整備から、育苗、手入れまで一連の作業を継続して行える事。

 ○ 木がないところに植えること。森でなくて街や砂漠化したような土地。

 ○ 自分達で植えようという意思をもってもらえる時のみに行う。

こんな条件で、出来るのは限られていると思う。やろうとすれば、林業家の家族や、親子で参加している市民団体や、学校林を育てる学校教育など限られるだろう。でも、そんな本当に教育的な植樹のできる組織作りが出来た時、世代を超えて持続する森づくりの運動になるだろう

困難そうでで本当は簡単な事だと思う。

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金治郎計画・・・

金治郎計画と言うのを知り合いの農業をやっているSさんがブログで提案されていたので、似たような事を考えていたので、私も似たものですが提案します。地場・旬・自給

薪を背負った二宮金次郎は有名ですが、現代の山から薪やら材木やら、エネルギーになるものを背負子に背負って人力で運び出して街の中で使う計画です。


森のなかまなどで手入れをしている林分から、薪ストーブを利用されている方が薪を欲しいとの事で少しですが、供給しています。冬の分を秋までに用意して積み上げておくので、かなりの量が必要になるとの事。正式ルートで買うとかなりの値段のようです。

樹種を選ぶと、なかなか集まらないのですが、間伐材まで使ってもらうと、薪にするには十分な材が山にはあります。間伐材は、値段にならないので、山に放置されています。


いろいろ、利用の手立てを考えたり、使い手を広報して募集しているようですが、どうもうまくいかない。うまくいかないのは、「細やかな地域のネットワーク」に乗らないからなのでは・・・

森林ボランティア団体として、いくつかの森の手入れをしていますが、材は山主さんから利用しても良いと言って頂いています。切り捨て間伐にするのは忍びないので、各方面に「木はいらんかね・・・」みたいに呼びかけておいたら、案外と、友達の友達関係で、沢山の人が利用してくださいました。(概要は、別に記事にします・・)

「家の壁を直すから、板がない・・?」「風呂に炊く薪ない?・・」「庭の藤棚作るから・・」とか、小さなものから、幼稚園に巨大ツリーハウスをつくる話まで、大から小まで、案外と材がはけていって、いまの所、伐る分と、出ていく分が釣り合っているから不思議です。


考えてみれば、昔、普通にやっていた事。材は、外国から買ったりしないで、近くの自分達の共有林から運び出していたものです。それが使われなくなって山が荒れている。

地域の木材利用コミュニティを再形成すれば、材は使われるし、多少でも化石燃料をバイオマス利用にに切り替えられる。

もちろん、再生可能エネルギーとして、大きなプラントを作ったり、広域で回転させる事も有効ですが、同時にスモールサイクル、ミニサイクルの循環の輪をつくる事と並行で進めていけば良い。

小さな、循環は、規模は小さいけど、範囲は広い。同じような試みが、各所で進めば、小規模×大面積で意外な効果があるのではないでしょうか。

急峻な地形での材は「出が悪い・・」との事で、運び出しが難しい。そんな所でも小規模でも背負子で運び出して様々に利用すれば。

ひとりで、運んでも寂しいので、ちょいとイベントにして、ポッカレースみたいに、山登り競技にでも取り入れたり、金治郎レースとかいって、市を上げての行事にするとか・・・

もともと、こんなのが始まったのは、うちで出る大鋸屑。仕方がないので市の収集に出していたら、禁書の人が欲しいといって、以後もらって頂いている。畑をやっているのて、堆肥や雑草防止に使うとのこと。時々出来た野菜をくれたりするので、うちとしてはゴミが、野菜に変わって大助かり。

ようするに、近隣ネットワークがあれば、随分のものがそこで流通していく。花壇の苗ネットワークだの、落ち葉ネットワークだの、古着ネットワークだの、経済統計には現れない市民の経済学・・が現に動いている。

理屈はどうでも良いが、こんなのが成立するだけで、家計の数十パーセントは、物々交換経済で成立するんじゃないか。

少し離れて、同じ市の森と里と街・・・軽トラで朝市など始まったが、金治郎スタイルで薪売りとか、農産物売りとか、森や里の産物を売り歩くとか・・・自分は恥ずかしいのでやだが・・・

金治郎計画。。きんじろう流通プロジェクトでエネルギー問題、森林問題、その他いろいろな社会問題を一挙に解決する・・・

すぐにも出来そうな事なので、まあ簡単な所から・・・


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酒匂川ののらねこ・・・

シカ発見と同じ日、12月16日に酒匂川河口の駐車場での風景です。多分野良猫・・・多数。

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ここの駐車場には人が沢山くるので、エサをあげる人も多いので、たくさん集まっています。野良猫、野良犬問題は重要な問題で、保護や去勢手術など、いろいろな立場で取り組んでいる方達が沢山いるのですが、一般の人の関心が薄いのが課題です。

人相・・「猫相」からして兄弟らしいけど、毛並みは良さそうでした。その後、どうなったか・・・


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酒匂川河口のシカ

ちょっと古い情報ですみません。昨年2010年12月16日に酒匂川河口で出会ったシカです。
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ゴミ拾いをしていた時に、突然西湘バイパスの西湘大橋の下に現れました。2頭です。西湘バイパスには「動物注意」の標識が立っていて、最初の時は「どうして、こんな所にこんな標識が・・」と思っていたのですが、酒匂川からシカが道路に出る事もあるらしい・・


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菊川の中を歩いて、中州のササの中に消えていきました。ここらにずっと棲息しているのでしょうか。そんなに頻繁に見にいかないのですが、その後は見ていません。酒匂川ならエサは十分あるかと・・・


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小田原城址公園下層植生の様子

8月20日

小田原城址公園の植栽の下層植生と草刈りの様子を少し調べてきました。

御用米曲輪東側のクスノキ林の入り口。近く工事が始まるので、予告がありました。スタンドの撤去に向けて一連の作業が始まります。ここのクスノキの下層はあまり光が入らず、踏圧もあるので、下層植生が貧弱です。Img_2202

御用米曲輪西側の斜面はまったく草刈りはしていないのでこんな状況。秋の工事の時に行う予定でしょうか。

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同じく西側斜面の杉林の下。光が入らないので下層植生がなくて、土が流れる危険性があります。林床を明るくする計画はあるので、今後どうなるでしょうか。


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急斜面で、光が少ないとか、アオキが繁茂するとかだと、このように土が剥きだしの状態ができてしまいます。剥きだしの土を作らないように公葬木下層植生の管理をするのが原則です。

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城址公園が東海道線と道路に面する急斜面の様子です。ここは、昨年まササが繁茂していたものを手で刈り取った跡です。
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ササが再度伸び始めています。このままだと、またササで覆われてしまいます。ササの刈り時は夏の終わり頃。まだ低くて柔らかいうちにやれば簡単ですが、伸びてしまったら労力が大変。昨年の刈り払い跡が残っていて、刈り払い機では大変かも知れません。ササを残すのか、絶滅させて別の植生に誘導するのか、急斜面でもあり、いろいろ難しい所です。


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そこの急斜面でめつけた枯れ木に生えたキノコ。こんな風に枯れ木を残しておくのも菌類のためにはなります。またそこに集まる昆虫にも良い・・・

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全体として、とても手が足らないようです。夏の今頃は草刈りシーズンなのですが、歩けなくなるような急な部分だけで大変そうです。刈り払いロープを使っているよいですが、こんな具合の借り方は植生には案外と良いものです。草を集めて捨ててしまうのは、好ましくないです。

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本丸下の二宮神社と図書館に隣接する斜面の様子です。一斉に刈り払ったようで、この時期、ちょっと寂しい。すぐに緑は回復するものですが、一度に刈り払わずに、少しずつやっていった方が緑は他の示す。また昆虫の住処を一度に奪わないので、逃げる余裕ができます。


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ウバユリが草刈り後に伸びて来て、これから開花しそようですが、こんなのも刈り払いの時期を工夫すると沢山残せます。残したい植物の開花あるいは結実後、残したくな植物の開花前に刈り払いをするのが方法のひとつです。


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このような急斜面の植生管理は重要です。うまくすると土を守る植生をつくる事ができます。スミレや春の花が咲き誇るのはこんな急斜面だったりします。

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崩落の恐れのある部分は、プラスチック素材の土嚢で処理してありますが、土壌保全や化学環境保全のためには、自然素材だけでやるのが好ましいのですが・・木のくい打ち作業では、まあ費用と労力がかかりますが。

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それから本丸から下る門の所のちょっとした様子。この時期、ちょっと油断すると刈り込みも草が伸びてしまいます。高度な造園手法でつくられた庭園は、週に一度程度の細やかな管理が必要です。または、適切なグランドカバーを使ってこんな事のないように設計する事もできます。高度管理区と、ある程度の自然力利用区を区分して作業計画をする必要があります。

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二の丸広場近くのちょっと気になった状況。手が足りない様子が良く分かります。公園の美しさは、公園が人工物である以上、どれほど人が手をかけられるかで決まります。もう少し、市民が参加できる管理システムを作るのが良いのはないでしょうか。横浜などでは公園愛護会といった形で市民参加の公園管理手法がある程度進んでいます。

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何か珍しい植物などないかと探してみたのですが、この季節、現時点ではあまり面白いものはありませんでした。総じて言えば、城址公園は下層植生の管理については、まったく方針や計画がないようです。

城址公園の植栽について意見いろいろ出て、樹木については関心が高まっていますが、樹木を支えるのは土壌、それから公園の安らぎを与えてくれるのは下層植生・・・この事にあまり関心が向かないのは残念です。

なんとなく森の潤い・・を感じる公園があるとしたら、土壌の香りや下層植生の豊かさがある所です。城址公園の地面・・下層植生と土壌に関心をもって散歩してみてください。


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山王海岸の植物を守り育てる会への協力をお願いします

以前ご紹介した山王海岸のハマボウフウ、ハマヒルガオ、コウボウムギなどの海岸植物を守るための会を組織する事になりました。私と地元の方が発起人になり、地元の方を中心にして順次協力者を募りたいと思います。興味のある方、近隣の方で協力いただける方は是非ご参加ください。


山王海岸の植物を守り育てる会(仮称)発足への呼びかけ

   趣旨

 酒匂川と山王川に挟まれる山王海岸には小規模な砂丘状になって、ハマボウフウ、ハマヒルガオ、コウボウムギなどの貴重な植物が生育して、地域の憩いの場となっています。

 近年、これら植物が砂浜の減退、道路の影響、踏みつけ、外来植物の侵入などにより減少しています。西湘地域の固有の地域植生としては、絶滅の危機にあると言えます。

 地域固有の豊かな自然を守り育てていく事は地域活性化や、豊かな暮らし、地域交流の礎にもなると考えています。

 近年、地元の有志により植物保護のための個人活動が続けられてきましたが、より多くの方や関係機関等の協力を得なくては進められない段階になっています。

 つきましては、海岸植物保護育成のための会を組織したく、関係の皆様に提案する次第です。是非、お名前を連ねて頂き、海岸動植物の保護育成と、海岸美化、海岸再生への取り組みに協力頂ければ幸いです。

       会の活動予定

 植物群落内のゴミ拾い
 ハマボウフウ、ハマヒルガオ、コウボウムギの保護のための活動
 ハマボウフウの採種と育苗、植え付け 里親制度の提案など
 外来植物の駆除による在来種の育成
 海岸全般の清掃活動への協力
 保護育成のためのマニュアル、パンフレットなどの作成・配付
 保護をよびかける看板などの設置 関係機関などとの連携
 その他、海岸の自然を考え再生する活動

     会の構成

賛同いただける皆様にお集まり頂き、構成を決めたいと思っていますが、当面の事務や保全のための業務は発起人が引き受けさせて頂きます。当面は任意団体として、会費等無しで、随時活動していきます。

発起人 森谷 昭一 小田原市久野  ビオトープ管理士 自然観察指導員
    長澤昭   小田原市山王  談話室 富士海荘

   海岸の様子や現在の取り組みなどは下記を参照ください。

    山王海岸の植物群落  
「sannoweb.pdf」をダウンロード

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アコースティックシティ

アコースティックとは電気的増幅をしない生楽器による演奏を示す言葉だが、少し意味を広げて自然な音、ナチュラルサウンドを示す事もある。

どこかのまちが、アコースティックをテーマにまちづくりをしたら、自分が住みたい。

アコースティックギターでも分かるように、アコースティックは「木」と結びつく。木の楽器、ギター、バイオリン、リコーダ、チェンバロ・・・そんな人間の身体性に直結するような音がイメージされる。

究極のアコースティックは人の声だろう。日本の声明、グレゴリア聖歌、世界中の合唱。ジェゴク、ガムラン、様々な民俗音楽も基本的にアコースティックだ。

これからの時代に、劇場ではどんな音楽やパフォーマンスが求められるのだろう。大型の音響システムを漬かった大がかりなPOPS系の音楽、派手な照明や装置を使った演劇・・・公演が巨大化すれば、スクリーンを通じて歌い手を見る・・そんな形になる。巨大な群衆が集い「同時」を共有する事は、多分永遠に求められるのだろうが、サウンドや映像技術がさらに高度化して、通信機能がさらに発達すれば、お茶の間で、双方向に巨大なコンサートの疑似体験できる・・なんて事が進むだろう。そうなれば、スタジオと各家庭の巨大映像装置があれば、電子増幅を利用するものは劇場を必要としなくなる。

そんな中でも、永遠に人が求めるのは人間の身体性だろう。生の声、職人の手技と演奏者の肉体生が作り上げるアコースティックな音楽、演劇はすたれる事はないだろう。さらに虫の音、風の音、波の音・・・自然の音と響き合っていくアコースティックな音は、人間の本能に響くものだろう。

普段は、電子楽器を利用しているアーティストの中でも、電子増幅を使わない、人工照明を使わないコンサートにあえて挑戦している。いつもは大きな会場で巨大パフォーマンスを演じているアーティストでも、あえて、自分の音楽の精髄を磨き上げるために、地方の小さなホールで、少人数でのコンサートに挑戦している。また、地域で○○さんを呼びたい・・との熱意が集まった所に出かけていきたいとのアーティストもいる。


そんな挑戦には響きの適切なホールと、質の高い聴衆と、静かで豊かな自然環境が必要だ。アコースティックには静けさと落ち着きが基盤として必要で、おちつきのある静かなまちづくりがの上に成立する。

やがて、楽器の製造の職人、伝統楽器の職人たちも集まってくるようなまち。まちの人々が、生き方を自然の方向に向けて、樹木に取り囲まれたまちづくりをして、木の家並み、ほのかな光の中で暮らし、手作りの産物をみなで楽しむ・・そんな町の環境の中で耳を研ぎ澄まして聞くコンサートも楽しむ・・・そんなイメージがアコースティックシティである。そんなまちで生涯の最後を暮らしたいと思う。

大コンサートは大都市の大規模劇場に任せて、地方の都市は、何かのコンセプトをひとつ採用して他と差別化をしないといけない。民俗音楽のまち、ジャズのまち、オーケストラのある1000人のまち、村の全員が合唱団・・、70年代の町、カントリー音楽のまち、町中落語と笑いのまち・・・コンセプトはいろいろありえるだろうが、「アコースティックシティ」をコンセプトにできる町は、日本のどこにあるだろううか。

信州の森と木に囲まれたまちだろうか。でも森も海も川もあって、生音の楽しむ文化伝統のある所、そんな気のあるアーティストが気落に来られるまち・・・小田原はどうだろうか。できそうな気と、無理そうな気が半々である。

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8月20日21日 小田原市まちづくり学校 自然エネルギー

小田原市まちづくり学校、3回シリーズの1回目として

○ 地域主体の自然エネルギー事業への取り組み
 日本国内の事例紹介
 環境エネルギー政策研究所 松原弘直氏

○ 地域のエネルギー事業をどうつくるか 海外事例
  環境エネルギー政策研究所 古屋将太氏
2回目として

○ 行政政策イノベーション 自然エネルギー政策
  同 古屋将太氏
○ 地方自治体の自然エネルギー政策
  同 山下 紀明氏

の講義と質疑応答に参加しました。
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グリーン電力詔書 地域環境エネルギー事務所 市民ファンドによる地域エネルギー事業  などの事例、南信州おひさま進歩エネルギーなど各種プロジェクト立山小水力発電事業など様々な事例か紹介されました。

また、海外事例として、デンマーク・サムソ島、スウェーデン・マルメの事例、ストックホルムの事例など先進事例など興味深いものです。特にハンマビー地区の 「simbioCity」段階的なソリューションなど、様々なレベルで統合的に同時進行させるような手法は有意義なものと思われます。

環境戦略においては、さまざまな座標をとって個別事項を配置して統合的に考える事が必要と考えていますが、座標のとりかたについて、社会学的な研究方法など確立していくと有意義だと思い、質問もしてみましたが、この点については「みなさんと考えてみたい」との事でした。


RPS 固定価格買い取り制度などについての紹介も詳細にしていただきました。このような制度は有効とおもいますが、協力な政治的決断が必要となります。制度の推し進めたヘルマン・シェア氏や、各分野でつよく政策を推し進めた人達の経済政策上の立場など興味をもちました。社会民主主義的な立場から推進の他に、自由経済論に立つ人達にも環境価値を正しく評価してもらえるシステムも必要とは考えています

地方・自治体としの取り組みで、興味があったのは、行政まかせでなく何人かの意思有る市民の具体的活動が必要であるとの指摘と同時に、各行政分野を「環境政策」が横断的にチェック・お願い・・できるようなシステムの両者でした。方法としては、まったく異なる方法ですが、このような具体策と、統合策を、さらに高度に統合する高次の統合策が今後求められるのではないかとの考えが全体として勉強できた事でした。

やはり、哲学と、技術、そして現場なのかもしれません。


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8月21日 市民ホール基本計画市民検討委員会 第3回

市民ホール基本計画市民検討委員会の3回目の会合が市役所で行われ、市民委員として参加して来ました。

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4班に分かれて、市民ホールに期待される事業・活動を考えるのテーマでグループワークをしました。

各班で、出てきた内容は豊富で、ここにとても紹介しきれないので、別の報告にお任せする事にして、自分達の班で出た内容からいくつか紹介させて頂きます。

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私達の班では、いろいろなアイデアをすぐに実現可能なものから、5年後10年後50年後までに並べて、また基本構想のまとめをもうひとつの座標にして、アイデアをまとめてみました。

「町内会対抗文化祭・・」とか「地域ごとの催し」とか「地元商店階との連携」とか地域系のもの・・・

「ホール予定地でのアート・コンサート」「アコースティックコンサート」「森のコンサート」とか自然系

などなど色々でしまたが、伝えきれないので、資料がまとまった時点でみてください。

座標に並べてみると、ホールが出来る前に出来るものが沢山ある事が分かります。で、ホールはいらないかという議論になるのではなく、それらが発展していく中で、どのようなホールになっていくか、継続していくかが見えて来るものと思われます。小田原の文化ポテンシャルをいかに発動されるか・・・

それから、「文化資料室」との事で、時間的も空間的にも、情報共有の大切さが指摘されました。県立音楽堂では図書館の近い事もあってアーカイブとして資料の蓄積が緻密にあり記憶として今も役だっているとの事。今行われている文化活動の映像資料も含めて、図書館との連携など文化のアーカイブ機能が必要です。また、小田原にはどんなアーティストや文化活動があるか、また、市民はどんなものを好んでいるかなどのデーターベースも必要です。こんな事も、すぐに始められるものがあります。

それから、各班の発表で共通していた事項として、若者や、あまりホールに来られない人へいかにアプローチするかもテーマとして上げられました。バンドやら「軽音系」のお手伝いをしていた立場としては、ありがたい意見です。

この委員会として何か企画を実行してみては、ここの議論をどのようにWEB等から発信していくかとか、いろいろ意見続出ですが、書ききれないので、正式報告にお任せしてこの程度にします。


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階層性世界観

正しい知識をもつための王道は・・・まず、数学をきちんと学んで頭を鍛える。

次に、その力で物理学を学ぶ。当たり前の事を当たり前であると言える頭脳ができる。

次に化学を学ぶ。できるだけ実験をして、どんな出来事も化学反応のひとつだと言う確信をもつ。

有機化学の応用として生物学を学ぶ。命も化学反応であり、遺伝や生理も数式どうりに動いている事を身にしみて覚える。

ここまでの基礎学力があれば、大脳生理学とかはすぐに分かる。どんな複雑な人間感情も、神経回路網でおきている出来事だろうと分かる。

天文学から地球物理、地質学と進んで、数億年単位のスケールを身につける。人類の愚劣の歴史も、その中にきちんと位置づけられるようになる。いつか人類が滅びる事も、地球が太陽に取り込まれていく事も、有りと前の事と認識できるようになる。

こんな順番で物事をきちんと学ぶと、ひとつの世界観をもつ事になる。階層性世界観といって良いだろうか。本当の科学者とは、このような階層性世界観を身につけている人間の事をいう。

すべては物理法則や化学反応である・・・還元主義と言うが、それとは違う。物理も化学も生物学も実験や調査をしつつ学ぶと、還元主義には陥らない。多様性の無限さにすぐ気付くからである。

理科教育、科学教育の目標は「階層性世界観」を次世代にももってもらう事だ。狭隘な部分知、専門という知的病に陥ってしまって、階層性世界観をもっていない科学者や教員も多い。

環境について考え、実践していくには階層性世界観は不可欠である。環境を改善していく「戦略的思考」は階層性世界観から導かれる。

階層性世界観を是非学んで身につけて欲しい。少しは仲間が増えるのだが。きちんとした階層性世界観をもつ人は小数なので、仲間がすくないのだ。

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環境を考える戦略的思考

「戦略的」という言葉があります。部分を考える戦術的に対する、全体を考える意味をもつ軍事や経営学の用語です。最近はより包括的に意味を与えられて、全体として目的を達成するための複合的な思考の方法をしめしてきます。

環境問題を考え解決していくには、戦略的な思考が必要です。

環境問題の取り組みとして、二酸化炭素削減、生物保護、エネルギー、自然景観・・・数多くの分野があります。これらの中には、部分としては対立せざるを得ない場面も出てきます。風力発電は二酸化炭素削減には有効ですが、野鳥の保護には問題もあります。

「環境運動」も全体的思考から外れると「ひとつひとつとしては正しいが、地球全体で考えると間違っている」ような事が時としておこります。

戦術を考える人に較べて、戦略を考えられる人は極めて少ないと言われます。人は部分だけに目がいき、小さな範囲で物事を考えやすいからです。

「環境学」と言う学問の固有領域があり得るのか、疑問に思う事があります。生態学とか化学とか物理学とか伝統的な学問の寄せ集め的な面もあり、いまいち「環境の専門家」と言える人がいない気がします。

もし、環境学の「固有領域」とは何か考える事があります。様々な関連学を統括して環境全体を適切に改善していく戦略を組織するのが、環境学の固有領域ではないでしょうか。その意味では、環境の専門家はいなくても良いのかも知れません。地球環境全体と人類全体を思考していくとすれば、もう特定の専門家のやれる事ではなくて、「みんなで考える」しかないからです。

戦略的思考の出来る練習をしてみたいと思います。

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富士見市文化会館きらりふじみ 見学

8月8日 月曜日

市民検討委員会の先進施設視察として、埼玉県富士見市の 富士見文化会館を見学しました。市民の参加は平日と言うことて20名には届きませんでしたが、強い関心のある方が多かったようです。

郊外の広い敷地にゆったりとたっています。アサザが植えられた大きな池との組合せが売りのようです。
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外壁はコンクリ打ちっ放しと一部薄い色のレンガ。周りの植栽も良くある普通のもの。


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テラスからみた風景。公演の休憩時に、こんな風景が見えるのも良いかも。小田原ではお堀や城址公園との組合せで自然に取り囲まれた雰囲気が出せると良いかと思いました。


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舞台は幅16.3m、高さ9.0m 奥行き14.4m 大人数のオーケストラにはちょっと狭い。でも、この規模にした事で、客席からの距離が短く、見やすく、近接感があります。

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2階席もありますが、1階席とは重ならない設計なので、デッドゾーンは出来ないようです。二階から下を見ても怖くない。

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客席は802席。座席の配置は、アーチを描き、さらに縦には揃わないので、前の人の頭がかさならないかも。座席の案内の人は少し苦労するかも知れません。後から来た人もなんとか着席できる幅です。


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搬入口は、大型トラックが直接ついて、スムースに運び込める構造です。


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部台の上部も見学させて頂きました。サスやバトンの数も多くて、すべて自動化されています。巻き上げの機械が沢山並んでいます。こういう装置の使い勝手や耐久性も舞台の価値です。こんな所にはきちんとお金を使った方が良いかと思います。


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楽屋は大小合わせて5室。洗髪のできる流しや、冷蔵庫とか、使い手への配慮は押さえられているようです。他の出演の立場の方はどう思われたでしょうか。


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こちは、「マルチホール」。平戸間として、展示にも利用できるスペースで、小ホールとは呼んでいません。


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こんな風にスイッチひとつで、客席がせり出してきます。


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椅子も自動的にせり上がり、「小ホール」になります。動いているのを見ると不安定そうですが、座ってみるとどっしりしています。ピアノの発表会とか、小さな公演には十分そうです。


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客席と舞台の間は、板を手動で外して下げる事もできます。技術の人が大変そうですが。


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メインホール、マルチホール、展示室の他に、「スタジオ」があります。バレースタジオや、バンドの練習などに使えます。一時間単位で貸し出ししているので稼働率100パーセントに近いとの事。
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そういえば、若い人のバンドのお世話をしていた時に、みんな貧乏なので、貸しスタジオの費用に苦労していました。こんな委員会には、あまり若い「軽音楽系・・」の人が少ないかも。別に街の中にスタジオをつくる手もあるけど、文化の創造・・の立場からは、このようなスタジオのニーズも高いと思います。

最後に、質問と意見交換。運営や予算などソフトの質問が多かったかも。

もし、「小田原で今後つくるとして、何かアドバイスは・・」との質問に、施設管理公社の方が、「やはり関わる人の問題が大切」と言われていました。運営や技術の方の個人的資質が大きく行方を左右する・・どの世界でも同じでしょうか。

また、このホールの建設にも関わった勝又先生からは、「利用する特定の立場からの意見だけでなく、将来を見通した、立場を超えた視点で考える事が大切」とのアドバイスを頂きました。

音楽、演劇、美術、鑑賞者・・・それぞれの立場からの意見は出やすいですが、それらを包括する全体的視野からホールを考える思考が今後大切だと思います。

景観との調和、施設、装置など、細かい所で見習うべき要素がいっぱいで、ここで示しきれませんが、それとは別に、これまで定めた基礎理念に立ち返りつつ、細かい工夫をしていく必要があります。

今の時点での良い工夫も時間経過の中では、古くなったり、陳腐化する可能性もあります。基本的なシンプルな骨格をつくって、数十年毎に、改造などのしやすい「進化」していくホールが良いのではないか。今回の見学から得た、個人的な思いです。

こんな勉強をさせて頂きましたが、市民の中では少数だけ。多少でも、来られなかった方のために、個人的な印象ですが、記事にさせて頂きました。

詳しくは、公式HPを見てください。

富士見文化会館HP

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業界知と総合知

鎌やらスコップやら草刈り機をもって自然の中で仕事をしていても「業界」が違うと、まるで別世界だ。

同じ森でも「林業業界」の人、「自然保護業界」の人、「里山業界」の人・・・微妙に・・いや決定的に違う。

一番違うのが「草刈り」だ。農業のやりかたは、掃除に近いが、少しは刈り残す。林業は草刈りとは言わず下草刈りと言うが、植林した木の生長を妨げるものだけを刈り取るので、かなり大胆である。造園業界も、里山業界も微妙に違う。清掃業界・・の草刈りは、地面の土だけになるまで、徹底的に植物を一掃する。


自分がビオトープ業界の頭で草刈りをする時は、草刈りは高さと時期にこだわる。もともと草を伸ばすために草刈りをするので、清掃業界のように草刈りをしてはいけない。そのままでは、高くなって多様な植物が生育できなくなるので、はびこりすぎの植物を適当な高さで制限するのが目的だ。残したい植物が種を作ってから、残したくない植物が結実する前に刈り取る。一度に全面を刈らずに、少しずつ刈り取る。昆虫が逃げられるようにするためだ。

刈り払い高さ50センチで、夏に3回・・・とか設計して、草刈りを続けると、良い具合に秋に花が咲いてくる。そんな目的の草刈りの完成型、理想型に達して喜んでいる所に、時に手伝いのつもりで農業業界の人が刈り払いをしてくれると、数年の努力が数時間で駄目になってしまう。

自分が林業頭に切り換えて、人工林で仕事をする時は、かなり大胆にスギ・ヒノキ以外は刈り取ってしまう。材木を引きずり出すために、地面をかきむしるような作業をする。自然保護頭の人には、ちょっと残酷に見えるかも知れない。根やシードパンクさえ残っているなら、また生えて来る事を知っているから林業業界の人は、案外と自然破壊に見えるような事をする。


自然保護頭では、一木一草たりとも手を付けるな・・みたいな


自然保護業界、自然観察業界、里山運動業界、自然再生業界、造園業界、園芸業界、清掃美化業界・・・さまざまな業界がある。そして農業業界でも、在来農業、有機農業、工業的農業・・・微妙に違う細分された世界や派が存在する。

業界・・専門が出来るのは、広く仕事を進めるには不可欠な事なのだろう。人がひとつの業界に属して、それに漬かってしまうと、かなり奇妙な事がおきやすい。農業や、造園業は目的をつきつめれば自然破壊に向かう方向性をもっている。自然保護でも自然再生でも、狭隘な業界知に閉鎖されると、環境破壊の進め役になりかえない。

どの課題領域に、どの業界の知見を適応して、その適応範囲を限定するか・・・さまざまな業界知を使いこなす大きな視野が必要である。その視野を提供するのが「総合学」としての環境学だと思う。環境業界というのがあってはいけない。業界知を打ち破り、手綱にとるのが環境学・・・総合知としての知識なのだろう。


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