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2012年1月

新九郎通信2月号

ギャラリー新九郎さんの「新九郎通信2月号」です。今月の表面では、足柄アートフェスティバル、裏面では長谷川潾二郎展展を詳しく取り上げています。

うちで、印刷している関係でこの場でご紹介します。おだわら、西湘地域のアートシーンが良く分かります。

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表面は、こちらからダウンロードください。   
「新九郎通信表面」をダウンロード


裏面はこちらから
「新九郎通信裏面」をダウンロード

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梅丸くん誕生の記録

 梅丸くん at 市役所 との事で以前に書きましたが、その秘密を広報小田原のバックナンバーで調査してみました。誕生は1990年。平成2年。 歳にすれば22歳・・・ときめき小田原というイベントとともに生まれました。こんな巨大なはりぼてまであった・・・

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着ぐるみも居たようです。梅丸くん風船もあったようで・・・この子達は、今27歳位かな・・・


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小田原ときめき夢まつり・・は1990年4月から1991年11月までの、長期イベント。色々行われたようです。

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梅丸くんキャラのデザインは、公募。兵庫の羽山次郎さんと言う方です。


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名前も全国公募。広報おだわらにも、随所に梅丸くんは登場していました。


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市役所の壁の梅丸くん、20年以上もたったから、あんなに薄れてしまったんですね。

みなさん、どんな思いがあるんでしょうか。経緯は知りませんが、いいキャラだと思うんですが。

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地域フォレスター制度

地域森林官制度 フォレスター

日本版フォレスター制度をつくろうとの議論があります。フォレスターは訳せば森林官。林野庁に森林官と言う役職はあり活動していますが、主に国有林の管理が仕事です。ここでは、もう少し包括的に官民協働で森林を統括する立場の創成について提案します。

 森の荒廃が話題になりますが、その原因とひとつとして、森林の所有制度が複雑で、地域の森林管理が一元化できない。国有林、県有林、市町村林、財産区、地域所有、個人林、企業所有・・・様々な所有形態の森が入り乱れているのが普通です。小規模や個人所有林などは、不在地主であったり、相続の関係で、所有者が現地を見た事もないような事例も少なくありません。

 小さな林分を手入れしても、隣の林分がそのままでは、光を林床にいれる事もできません。防災のためにひとつの山全体を一度に手入れする必要な場合もあります。

 森林作業をするのに最初に必要なのは、境界の確定。他人の山を勝手にいじれませんから、作業前に関係者の立ち会いで境界を確定する必要があるのですが、所有者すら忘れている場合があり、困難です。また、老齢のため所有者が立ち会えない等、年々困難になっています。ひどく手入れの遅れた森があり、森林ボランティア団体などが手伝っても良いとの意思をもっていても、所有者すら分からない事が少なくありません。

 なんらからの形で、地域の森林すべてについて、所有者や林分の様子、地質や地形などを統括的に把握している立場が必要です。個人の所有権に関わり、登記簿を参照したりする必要がありますから、ある程度公的な立場、権限をもった行政職の立場が必要です。

 国により制度は違いますが、そのような仕事をするフォレスターと言う役職があります。森林の実情把握だけでなく、技術的な支援や、さらに木材の流通経済のコーディネートまで行う場合もあります。

 公有林だけの立場なら、それぞれのセクションで森林簿をつくり管理していますが、地域横断的に、あらゆる所有形態の森林を統括管理する事はできていません。

 ひとつの水系で、森林はひとつの自然としてのまとまりがあります。所有区分は違っても、生き物達は自由にいきかい、水や風は一緒に動いていいきます。地域、特に市町村レベル、水系レベルなどを統括的に把握して運用していくような営みが森林再生には不可欠です。

 そのような強大な権限を集中的にもたせるのは、自由主義社会になじまない等の意見もあり、公権と私権の関係する難しい問題ですので、そう簡単には進まないでしょう。個人所有者が、かえって反発するような事態もありえます。しかし、制度の確立を待つには、森林の状況はすでに危機的です。

 そんな意味でも、「官民の関わる、協働によるフォレスター制度」を地域ごとに確立する事が課題です。各地域には、地域の名コーディネーターのような立場の人がいて、どこの森は誰の所有か、そしてそれぞれの家庭の実情まで近隣関係の中で把握している方が大抵はおられます。そのような方を通じて、個人的なつきあいの中で、互いの利益なるような施業や保全の手立てを組み立ていいく。さらに、それに行政権限のある立場が協働して、公と私の調整をしたり、資金の融資や補助金などの手当も考えて行く。

ひとりの「森林官」にあたる業務を、行政の森林統括部のようなセクションと民間の森林協議会のような組織、さらに地域森林市民団体連合・・のような連携が加わり、実務として森林統括を進めていく。

上からの統合でなく、下から順次集まりを束ねていき、森林統括を進めていく事が現実的な方法です。こんな形で「地域フォレスター制度」をつくれないでしょうか。地域主義、市民協働、森林再生のさまざまな流れの中で、多分そんな形で森林政策が統合されていくものと考えいますが、森林再生の緊急性からして、このような流れを地域で加速していくのが第一の課題です。

 予算抑制の時代で、公の果たせる役割が相対的に小さくなっていく時代で、官民協働による制度には、森林に関する充分な情報公開も必要です。森林所有なども私権がからむので、公開されない事例も少なくないのですが、公有林については、ある程度の明細な地図がつくられ、市民に公開される事が必要です。森林状況に関する統計や、森林計画なども、もっと市民に公開する事により、協力が得られます。

 市民団体が、どこに関われるか、企業はどのように関われるか、共通の情報共有によって合意形成も容易になります。森の様子が、もっと一般市民に分かるようになれば、おそらくもっと多数の市民が税の使い方や、資金提供、森のの関わりなど、さらに多くの力を集結できるようになるでしょう。積極的な森の情報公開もフォレスター制度の果たす第一の仕事です。

 森林官というと林業的な立場からの統括と捉えがちです。一方で「自然保護官」という制度が「環境省」などにあります。各国にも、保護行政を行う強い力をもった役職がある場合があります。日本では、どうも縦割り行政的に、別々の地域で、別の仕事をするようになりがちです。森林の多面的機能、生産林としての森林だけでなく、国土保全や、生態系維持、動植物の保護など、すべての森に関する人の営みが、さらに統括されていく必要もあります。

 地域フォレスター制度の中には、行政区分や、学問領域の違いなども統合される立場で人材が集結される事も望まれます。動植物の調査活動をするような市民団体と森林ボランティア団体などの市民レベルの包括的な協力関係も大切です。

 このような事は国や県のレベルでは、かなり難しいでしょうが、地域でこれを実現するのは簡単かもしれません。地域という単位では、そのような立場の違いも、「近隣のおつきあい」の中で自然に交流できますから、地域での小さなフォレスター制度は、先見的に可能です。

 異なる森を自由に行き交い、地域の森の「もの知り」になる。今のままでは、森のもの知りは、人間の私権の外にいるクマやイノシシたちだけなのでしょうか。クマやサルほどに森を動き回り、地域の森を統括的に把握する仕事をみんなで進めたいものです。
 
 

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環境・自然再生のための組織研究1 事例研究

小田原で進みつつある環境に関する組織形成のために、各地の参考事例を順次紹介します。

まずは、多少とも自分が多少ともふれる事のできた事例や近隣の事例です。

1  丹沢大山自然再生委員会 (大きな地域を包括する組織事例)

   丹沢大山自然再生協議会

 丹沢・大山の自然再生に関して、研究者・NPO等・マスコミ・企業・緒法人・行政が関わり、委員会をつくって活動しています。特に調査活動では大きな成果を上げています。 HPから組織や、活動、広報手段など、研究してみてください。もっとも近い組織として大変参考になります。

同レベルの組織が、県西地域、箱根・小田原・湯河原・南足柄などが一体になった地域で、形成される事をのぞんでいます。

2 AKAYAプロジェクト  (国とNGO、地元の連携の事例)

   AKAYAプロジェクト Nacs-J

  関東森林管理局 赤谷プロジェクト

 林野庁と自然保護協会、地元が協働して群馬県・新潟県にまたがる赤谷地域の保護・再生・グリーツーリズムなどを推進しています。特に地域をゾーニングして、それそれの手法で取り組んでいっている点などに特徴があります。

ダム撤去という先進的な選択を地元が主体で進めています。

   ダム撤去という選択

3 鎌倉風致保存会  (公益財団法人の事例)

  鎌倉風致保存会

日本で最初に「トラスト運動」を成立させた伝統ある組織です。保護の必要な場所を買い取って、ボランティアの手で手入れをして保全をしていっています。公益財団法人となっています。

財務諸表なども公開されていますので、参考になります。

   財務諸表

4 緑のダム北相模   (NPOの事例)

  緑のダム北相模

 主に二つの森林を拠点にして活動されています。時には定例活動に100人近い人員が参加して活動しています。活動状況など、HPから参考にしてください。

5 自然再生推進法による各地の自然再生協議会

 地域の環境に関しての組織の在り方として、国の法律に基づいていく事も有益です。法律の概要と各地の事例を是非研究してみてください。

   自然再生推進法

   自然再生の仕組み

● 環境のための組織のありかた研究のために

 環境NGOなどの雑誌、各種シンポジウム、研修会などに触れていると、無数の組織事例や活動事例にふれる事ができます。

 しかし、自分達の地域で、それを単純にまねをしようとしても、そううまくは行かないと思います。むしろ「同じ事を繰り返さない」「失敗を学ぶ」ための事例研究です。

多くの事例研究をする事により、「地分達の立ち位置を理解する」「どの程度のスケールの活動をするべきか」が、把握できてきます。

事例研究により、「無駄な議論」をしないで、先に進む事もできます。

各地の事例より、どんな事が地域の組織として必要か、順次まとめて行きたいと思います。まずは、紹介した諸事例を良く研究してみてください。それぞれのHPからたどると、奥の方に参考になる事例が隠れていますので、リンクをたどってみてください。


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冬の暖かな草たち

久野 船原にあるため池の草地。 1月、草地はとても暖かい。冬の光ほど暖かいものはない。気持ちがいい。
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2 これは自然・・ いえいえ、人が「育てた」・・・「草地」。春、夏、秋・・8回は、ここの草刈りしただろうか。草達との戦いで、今は草達が少し休んでいる。

自分も、少し休んでいられる。決して自然ではない、人のつくった草地。何も植えていないし、何も持ち出していない。ただ、草刈りをしただけ。除草祭なんか使わない。それで、こんなに頼もしい。

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3  ロゼット達。本当は草は休まない。こんな形で、春をまっている。暖かくなれば、いっきにのび盛る。

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4 冬といっても、緑もあるし、花だってさいている。暖かければ、昆虫も出てくる。冬の草地は、案外忙しい。

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5 もぐらが、地中で大活躍。おかげて、草地は、ふんわり柔らか。踏まれないと、みんな活き活きとしている。

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6 彼岸花・・冬の間に栄養を蓄える。花は知っていても、葉っぱは、ちょっと無名。冬に彼岸花はなんだか力強くて、こちらの方が美しい。


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邪魔な分だけ、刈り取ってやる。最小限に。根まで掘らずに、刈り取った草はそのままに置いておく。そんな草との戦いを楽しんで、気付くととても美しい。

こんな草刈りを数百年も続けていると、そこにきっと奇跡もおこる。自然と闘い人の作ったもで、一番美しいと思うのは、こんな草地。


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小田原板橋みかん「棚畑」

小田原市板橋の山の急斜面。みかん畑がまるで「棚田」のようにそびえています。

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こんな急斜面、これだけの石を積み上げたのは凄い・・・手入れも大変でしょう。レールもひかれていますが、今は使っていないよう。

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蜜柑畑の橙色、黒いミカン小屋、海の青さ、石積みの色、これぞ小田原風景です。松永記念館の少し先の山です。

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海から見える蜜柑畑は美しい。蜜柑畑から見える海も美しい。農業遺産・・として棚田が注目されていますが、それにも匹敵するミカン畑。


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こんな小田原風景ですか、年々、ミカン畑が消えていきます。耕作放棄となり、草や竹に埋もれていつています。高齢化や継ぐ人がなく、小田原の至宝とも言える風景が荒れていっています。

うちら、「ふもと応援隊」で、一軒のミカン畑の手入れを手伝わせてもらっています。夏は、もう大変。ちょっと油断すると草だらけ。この景色を守るには大変な人手が必要です。

小田原では、少し知り合いがいれば、ミカンは買わなくても、誰となく回ってくる。地元のミカンを食べて、夏には草刈りの手伝いをして、この風景を残して行きたいと思います。夏になったら手伝いに来てください

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自治基本条例研究 3 前文

小田原市自治基本条例研究の3回目として、前文をとりあげます。今回も 骨子案、素案、条例を比較する形で問題提起をしたいと思います。

骨子案は、市民による検討委員会の報告として提出されたもので、いわば「市民案」です。法務技術的な所に市民が関わる事はないとの意向で、検討委員会としては「骨子案」という条文になる前の状態で、行政に提出した形です。

それを市の法務担当も含めて担当者が「素案」を作成しました。この後、一回だけ、29回の最終委員会で素案についての説明と検討委員会としての意見を述べる機会がありました。骨子案から素案がつくられた経緯については、骨子→条例案対照資料があります。市民案と行政の案との比較と、違いの理由について記載してある重要な資料です。是非参照ください。

なお、先に3案の比較資料は、今回から最後に掲載する事にします。

1 前文については、オープンスクェアなどを通じても、「分かりやすいもの」「したしみやすいもの」との希望が少なくありませんでした。子供にも暗唱できるようなもの、市役所の職員が毎日仕事前に唱えられもの・・・そんな希望もありました。  北原白秋はじめ、文学の町として、文学的で格調の高いもの、・・そんな意見もありました。骨子案でも、「趣旨が分かりやすく伝わるような、なめらかであまり長くない前文」との記載になっています。

素案や条例の前文をみなさんはどう評価するでしょうか。作文の担当者は不明ですが、骨子案や、検討の過程で出された理想からは、ほど遠い文章です。これを暗唱する人もいないでしょうし、子供達どころか、堅い文章に慣れた大人でさえ分かりにくい文章です。

委員として、「前文は、条文を提示した上で、市民に公募したり、文学的な力のある人の力を借りたりしてはどうか。」と提案した事を覚えていますが、それどころではない・・締め切り間際の間に合わせ原稿ではないかと思えるほどです。骨子案から条例に至るスケジュールが極めて短い事も良い前文が出来なかった一因かも知れません。

前文は、条文と違い、少し冒険のできる部分です。詩人白秋の町らしく、詩の形の前文なんてのができたら、それこそ画期的だと思うのですか。一体、何が言いたいのか、ごく当たり前の事が掲げてあるとの印象しか多くの人に与えないのではないでしょうか。

2 骨私案の説明はに、「これまでの100年」と「これからの100年」の大きな転換・・との一言があります。明治以来の「中央から地方へ」の流れを転換して「地域から世界へ」の流れをつくろうとの意思表明にもなっていますが、この条例前文から、は「地域が主役となる時代」程度しか記述がありません。それだけの言葉から、条例の趣旨を理解してもらう事は、制定までの議論を引用してもらったとしても、無理に違いありません。

3 素案と条例の比較をして頂くと興味深いことがあります。素案では、自治会活動との言葉が明確に入っていましたが、条例では様々な地域活動と曖昧にされています。自治会についての議論はまた別に書きたいと思います。

「持続可能なまちづくり」との言葉も、素案にはありましたが、条例では消えています。「持続可能性」は、国際理念にも通ずる深い意味を与えられた言葉で、知らない人が条例にこの言葉をみつけたら、循環思想にも通ずる意味合いで受け止めたかもしれません。なお、持続可能との言葉は検討委員で、そのような深い意味に通ずるものかとの質問をした事があります。それに対して、それほどの意味づけは考えていないとの事でした。それが骨子案の「幸福感をもって暮らし続けられるまち」と言う言葉になっています。先年までの市政の方針には「持続可能な」との言葉がありましたが、今は「市民の力で未来を拓くまち」となりましたが、国際理念にも通ずる看板を下ろした事は残念です。

4 素案から条例案が作られ議会に送られましたが、素案と条例の違いは15日間のパブリックコメントによるものと言う事になっています。パブリックコメントと、それに対する市の意見は素案への意見とそれに対する市の考え方に詳しく記載されています。
 これを見て頂くと、担当者の意図が良く分かります。かなり詳しい意見に対しては、変更できないとの意見が多いのに較べ、わずかな指摘だけで、前文を変更しています。

素案に対する検討委員の意見を述べる機会は一回だけでした。またパブリックコメントに対して、検討委員が再度意見を述べる機会はありませんでした。最終回以後、特に検討委員と行政のやりとりはなく、条例がつくられていったようです。検討委員が一市民としてパブリックコメントに参加する事もありえたかも知れませんが、提案者側でもあり好ましくないと考え私個人としては意見は出していません。とにかく、最終段階は、スケジュールをこなすためにかなり拙速な制定経過で、委員としては特に前文は不満足なものです。

今までの100年と、これからの100年とは何か。そんな重要な意見交換を、どれほど多くの市民で議論ができたか、反省する事が多いですが、いつか、そんな議論を再度行い、いつかは格調高前文をもった条例に変わっていく事を望みます。

   元自治基本条例検討委員 森谷昭一

・・・資料・・前文・・・・・・・・・・

● 骨子案

前文
0-1:この条例の趣旨が分かりやすく伝わるような、なめらかであまり長くない前文とします。

0-2:地方自治・民主主義の「これまでの100年」と「これからの100年」の大きな転換点にある中で、前例にとらわれることなく、自治の進め方を変えていくことが求められているという時代認識を共有します。

0-3:「小田原市のこれからの100年」を築いていくために、小田原市の様々な自治の担い手は、対話し、信頼し合い、連携し、それぞれの持ち味を発揮していきます。それらの担い手が、小田原市を、より一層幸福感をもって暮らし続けられるまち、小田原ならではの多様性と地域性のあるまちにしていくためのよりどころとして自治基本条例をつくります。

【説明】
この条例には、全ての市民に関わることが書かれます。そのため、最初に目にする前文は、子どもから大人まで誰にでも分かりやすく、読みやすく、趣旨が分かるようなものとします。
0-2:「『これまでの100年』と『これからの100年』の大きな転換」とは、時代を大括りにとらえ、明治維新以降、官が中心に公共を支えていた社会のあり方を、持続可能なまちづくり(幸福感を持って暮らし続けられるまちをつくっていく)のために、市民も主体的に公共を支えていく社会に転換していくという意味です。


● 素案

わたくしたちのまち小田原においては、自治会活動や市民活動等の自発的な活動が
まちを支えるものとして一翼を担ってきた。
地域主権の時代が幕を開け、人や地域の絆を再生し、人と人とが支え合う社会をつくり出すことが求められている今こそ、これまでのまちづくりの取組を生かすとともに、市民一人一人が小田原のまちをつくる担い手として自ら考え、行動することが求められている。
そして、わたくしたちは、持続可能なまちづくりのために、お互いに尊重し、対話し、連携し、協力し合いながら、それぞれの役割を果たさなければならない。
わたくしたちはここに、小田原における自治の基本的な考え方を明らかにし、小田原をより一層生き生きと暮らし続けることができるまちとするために、この条例を制定する。


● 条例

わたくしたちのまち小田原においては、様々な地域活動や市民活動などの自発的な活動がまちを支える一翼を担ってきた。地域が主役となる時代が幕を開けた今、人と人とが支え合う社会をつくり出すためには、これまで以上に市民の力を生かし、人や地域の絆を再生し、これまでのまちづくりの取組を生かしながら、市民一人一人が小田原のまちをつくる担い手として自ら考え、行動することが求められている。そして、市民、議会及び行政といった自治の担い手がお互いに尊重し、対話し、連携し、協力し合いながら、それぞれの役割を果たしていくことが必要である。
わたくしたちはここに、小田原における自治の基本的な考え方を明らかにし、市民がより一層生き生きと暮らし続けることができるまちとするため、この条例を制定する。

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長谷川潾二郎展展

長谷川潾二郎展

 松永記念館の長谷川潾二郎展をみてきた。

 長谷川がみせてくれる空間の静けさは、何と言葉にしたら良いのだろう。思い出したのは清宮質文清宮質文である。清宮の静けさは少し寒々しいが、長谷川の静けさは暖かみがある。

 詩人・文学者でもある彼は、的確な言葉を残し、その言葉の展示も展覧の一つの要素となっている。長谷川の描く世界は心の世界なのか、現実の世界なのか。1953年の「荻窪風景」をみると、電柱は描かれているが、電線は省略されている。細いから省略されたのか、文学世界だから電柱だけなのか。電柱は長い時間を経て人々の中に「文学化」され物語の主として心象化されてきた。しかし電線は、あまりに物質的なのでキャンバスには登場しなかったのか・・

 またこの時期の作品には影が描かれていない。荻窪風景でも人物は静止して陰影なく、ただ遠近法の中に置かれている。夢にはあまり影はない。そんな意味でも、現実と心の間の層のより心に近い部分で描かれた風景なのだろう。適度に省略され、図象化された彼の初期の作品の静けさに人々は癒されるのではないだろうか。
 晩年に近い1970年の「静物」などは、見事に影と反射が描かれている。机に映ったほのかな静物の陰影がかえって「物」の存在感を表現し、反射のような美しい情景が起きる空間そのものへの賛美が感じられる。

第一印象を描く、現実との接点を探る、・・・そんな彼の試みが後期の作品には明確に表現されている。

作品数は少なかったが、静かにみる事が出来て、良い作品の数々に出会えたと思う。

今回は、おだわらミュージアムプロジェクトの第一回目の試みとの事だが、展示に関しては、残念な事が多い。
 まず、照明の調節が不十分である。ガラスに映る鑑賞者の姿が強すぎて、充分に作品を鑑賞できにくい。額にもガラスがある作品は二重に反射面を通るためにさらに見にくい。作品のマチエールを感じたい欲求には応えていない。今後、ミュージアムとして活用するなら、照明設備を見直すべきだろう。本館の展示は、蛍光灯での照明である。色温度、室内照度と展示の照度との関係など細心の工夫が欲しい。

もともと一般展示を想定していない設計なのか、仕切られた部分が独立した空間になっている。だったら、それを利用しての似た作品を集めての小テーマ展示など工夫できるかもしれない。「展示が何かを語る・・・」そんなレベルにもっていってもらいたい。

詩人でもあった長谷川の文章の展示も画を理解する上で有効だ。良い言葉にもめぐり会える。ただ、その展示の表装の技がいかにも素人だ。端がきちんと裁断されていなかったり、凹凸があったりする。猫のひげを画くのにに何年もかけて果たせなかったと言うこだわりの画家だ。その厳しさに応じる、展示技能をもってもらいたい。

 「良い画は、その周囲を良い匂いで染める。」とは展示されている長谷川の言葉だが、この言葉どうりに、彼の画が発する高貴な匂いの発散を受け止める展示空間を企てて欲しい。今後、地域に大家の作品を招聘するプロジェクトが進められようとしている。作品の発する匂いや力を受け止められる厳しい技に支えられた展示空間を用意すれば、きっと優れたアーティストの作品が、地域にも展示されるようになるだろう。
  も/あ

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最中を溶かすとお汁粉になる・・・

最中をポケットに入れていたら、つぶれてしまった。食べても美味しくなさそう・・・

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そこで、お湯に溶かしたら「お汁粉」になるかと思い、試してみることに。お椀に入れる。

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熱湯を注ぐ。

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良くかき混ぜる。


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食べてみた。案外と美味い。皮が餅の味を出している。

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最中を溶かすと、お汁粉になる。

溶かすと、何かになるシリーズ・・・

コーラ飴を溶かすと、コーラになる・・・

ミルキーを溶かすと、?  

おにぎりを溶かすと、お茶漬けになる・・・

その他、溶かすとシリーズ、試してみて・・・

なお、お汁粉最中は文明堂より商品化されています。でも、これは粉小豆。あんパンを溶かしても、あまりうまくない・・


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環境・発想の転換 地球にやさしくなんて出来ない・

「環境にやさしく」とか「地球にやさしい何とか」と言う言葉が未だに蔓延している。本気なんだろうか。

特に、子供達の環境イベントで、地球にやさしくなんて言葉が子供達の口から発せられるのは、まるで環境教育が進んでいない証拠にしかならない。

 地球や環境にやさしくなんて出来ない・・・
  自分を大切にするだけだ・・・

こんな種類のイメージが蔓延するのは困りものである。

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まあ、イメージなので、とやかく言う対象でもないのかも知れないが、地球の頭をやさしくなでいいる図柄など、やめてもらいたい。

地球の大きさと、人間の大きさを正確に把握してもらう事は、環境教育の第一歩だろう。それが分かれば、人類がよってたかって何をしようと、人類がほろびようと、天文学スケールの地球には、あまり影響を与えない。それが身につけば、地球にやさしく・・なんて言葉は出てこない筈だ。

次に、地球の大きさと、水圏・大気圏とスケール関係を把握してもらう事が必須だろう。地球温暖化(正確には地球大気圏の乱流化)は、きわめて薄い対流圏の問題だ。「地球君」が熱を出して、体温計を銜えている絵柄など、かなりのお馬鹿だ・・・


さらに、生物相の薄さを地球の大きさと較べたら、生き物がどれほど狭い範囲で棲息しているか分かる。その中で、人類はままた小さな存在てある。

人間が、ゴミや毒物を排出すれば、その薄く狭い範囲で、流動していく。狭い範囲で流動すれば、やがて自分に戻ってくる。環境を損なわない事は、自分の命を損なわない事だ。自分の命を大切にすれは良いのである。

  海は広いな、大きいな・・・

と言う歌があるが、環境を考えれば

  海は、薄いな、小さいな・・
  ゴミを捨てれば、すぐ戻る・・

との歌詞に変えて歌ってもらった方が良いかもしれない。


 「やさしく」と言う言葉には、自分が絶対的優位にたち、自由意思でやさしくしたり、やさしくしなかったり出来るとの意味が言外に込められている。自分の存在を絶対的に固定して、まわりの環境を左右すると言う思想になりがちである。

 大抵の「やさしい」やら「エコ」やらは、できる範囲の小さな事しかせずに、自分の生活の骨格を変えようとはしない姿勢と裏腹だ。エコキャップ集めするより、ペットボトルの飲料は飲まない覚悟をする方がよほど効果がある。マイ箸持参なんかするより、手づかみで食べたらもっと効果的である。省エネではなく、「断エネ」で電気を止めてしまえば、一挙に問題は解決してしまう。・・・そんな事はできないから、免罪符的にやさしいやらエコやらが蔓延する。もちろん自分もそうなのだが・・・

 そもそも自然環境を悪くしない為には、人類が滅びてしまえば良い。もともと、人間が存在して生きるいる限り環境問題は消滅しない。環境問題は、人類存在の「原罪」的な位置にある。人類が生きられる僅かな薄い空間・・・そこで自分が生存する条件を少しでも悪化させない事が環境への取り組みである。環境問題にに取り組む事は「良い事をする」訳ではない。やって当たり前、やらなければ罪、自分が損をして、自らの生存を損なう事だ。

 子供達に、環境にやさしく・・なんて言っていないで、「自分の命が惜しければ、寿命を全うしたいなら、大人が化石燃料を使ってしまうのを食い止めろ・・」と言うべきである。脅しでなく、自分が大切なら、環境の課題にすぐに取り組めと知らせるべきである。

 木にやさしく、動物にやさしく・・・森にやさしく・・・「やさしく」シリーズは、どんどん拡大しているようである。同じ事である、どれにも「やさしく」なんか出来ない。自分を大切にしよう。木の生命に人間の命は支えられている。生き物達に、人類の生命は依存している。動物を損なわない事、森を損なわない事は、自分の命を損なわない事と同値である。圧倒的に巨大な地球と言う存在の中に、対流圏があり、小さな生物相がある。それ全体を少しでも損なわずに、人類がほそぼそでも良いから生き延びるように行動していこう。そう言うべきである。

 環境にやさしく・・キャンペーンを早く止めさせて、「お前ら・・死にたくないなら、ちゃんとしろ・・」キャンペーン変えさせたいと思っている。

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森「づくり」なんかするな・・・

環境編 発想の転換 森「づくり」なんかするな・・・

時代を進めるには発想の転換が大切です。この、環境編発想の転換はシリーズとして、環境分野での世間の常識を打ち破り発想を転換していく持論を述べさせて頂いています。

今回は森「づくり」なんかするな・・・

 森はつくるものではない。
  森の「適正利用」をすれば良い。

森林をどんどん利用して伐ってしまえ・・みたいに捉えられたら正反対です。森は人につくれるものではないと言う事です。

森づくりに凝る有名人が増えたり、「なんとかの森づくり」みたいな運動が近年盛んですが、どうも流行ものは底が浅い・・・

自然な森に戻すにはどんな木を植えようとか、色々工夫したりする事が多いけど、どんなものか・・・理想の森はどんなものとか議論したりするけど・・・人間の勝手にすぎない気が・・

自然の森、原生林は、もともと人が全く手をつけていない森。これが理想だとすれば、森は人にはつくれない。唯一つくる方法は・・「何もしない・」事。できる限り人が手を加えず、近づかなければ森はひとりでに「生成」していく。森はつくれない。作ったら、もう森ではない。

山仕事を少しばかりていると、予測に反する事ばかり起こる。いろいろ、土地に合う樹種を選んで植えてみても枯れてしまったり、いろいろやってみても叶わない事が多い。それで、ほったらかして置くと、奇妙に面白いものが芽生えて来たり、森は分からない。

森林に関する学問は発展途上の学問だ。土壌で起こっている生物相の相互作用、化学反応、樹木どうしの様々な化学物質を通じての相互作用、莫大に存在する生き物の働き・・・水の動き、分からない事だらけだ。勉強すればするほど、経験すればするほど、森は分からなくなる。「なんだか分からん・・」と思っているなら、多分それは森の専門家と呼んで良い。無知なる知。

では、森に対して、人間は何をしたら良いか。それは「適正利用」をする事だ。林業は森の利用だ。森林を畑の一種に開墾して木材を利用する畑だ。畑なら畑で最後まで手をかける。それが森の適正利用である。動物をペットとして飼育して途中で放棄するのはしてはいけない事だ。それと同じに木を植えて、ほったらかしにしたら動物愛護法ならぬ、「植物愛護法・・」に反する。(そんな法がないのが不思議だが)

食べられないほどよそって捨てたら、人道に反する。手入れできない程に植えてほったらかしにしたら、人工林という畑はひどい環境になって人に仕返しをする。30年から50年ほど前に、後の事も考えずに人工林という畑を「作って」、使わないから・・と言って、ほったらかしにした犯罪行為が今の日本の森の問題である。被害を被ったのはクマだったり、猿だったり、無数の土壌生物だったり、海の魚だったり、麓に住む人達だったりする。

最後まで、きちんと人工林という畑を管理して、よそったものを食べるように、最後まできちんと利用する。それが、人のするべき事である。作った以上、使う「義務」があるのではないか。

森は出来る限り触らない・・・これが第一原則。ただ、森を利用しなければ人は生きていけないので、最低限生きるために、最小限利用する。利用するならすべてきちんと利用する。これを「森の適正利用」と呼びたい。使いたい樹種があれば、一番育ちやすいところに植える。いや植えないで、芽生えを選んで残す。木の競争に少しだけ手をかしてやる。

日本中に竹が繁茂して、とんでもない状況になっている。「森づくり」をしないで、自然のままにしておいたら、こんなになるのではないか。・・・竹が繁茂している所は、もともと人間が利用していた畑としての森である。利用して隙間をつくる事により、竹に有利な状況をつくったために竹が繁茂している。

本来の森・・・生態系として安定した森林は、なかなか他の生物の侵入を許さない。外来植物がはびこるのも人がかき回して、それらに有利な状態をつくったからだ。しかし、安定した森でさえ、周囲全面を人工林やら外来植物で囲まれたら、壊れてしまう。

生態系とし安定した森は、当然手をかけずに自然更新していく。広葉樹でも植えれば、数百年はその樹種の森になるかも知れないが、自然更新しなければ本来の森ではない。森が自然更新したとしたら、どんな植生になるかを人が考えてみたものを「潜在植生」と言っているが、森の生態系は本来は「非線形現象」で、偶然性や微少な地形条件などの初期条件が強く働く。だから、本来良く分からないものだ。人の計らいを超えて、なるようになったものを森と呼ぶとすれば、人が意図したものは森ではない。

森づくりは早くやめて、森の適正利用をしてもらいたい。適正利用として、どうしても必要な木があれば植えれば良い。畑をつくれば良い。お椀が欲しければ、ケヤキを植えれば良い。そのかわり植えた以上、かならず使うように子孫まできちんと伝えるべきである。そして、作ったお椀を大切に使えば良い。

使わないなら、畑を森にもどそう。技で畑にしたものだが、自然にもどすには高度な技が必要になる。うまくギャップを作ったり、周囲の森から遺伝子源が移動するように計らう。移動は、鳥やら虫やら小動物やら風やらがしてくれる。広大な面積範囲での、遺伝子源の分布を適正にしていく中で、元にもどすと言う罪滅ぼしも可能になる。

そういう大きな計画の中で、個々の林分の「適正利用」を施業していけば良い。利用であるから、どんな畑にするかは、人間の好みで良い。ただ慎ましい態度と、最小限の利用をしようとの原則を守っていきたい。

「理想の森」とか「森づくり」とか「なんとかの森」とか看板にしている人達には、あまり近づかないようにしている。なんだか多少でも生態学やら土壌について学んだ者としては恥ずかしいからだ。

森に捨てられる木で利用できるものなら、少しでも丁寧に使って、その営みと、自然の生態系の営みがうまく釣り合った所で、森を安定させておけば良い。

森は美しいものでも、理想のものでも、何ものでもない。良く分からない、とんでも無いものが森である。人に分かる範囲で、出来る事は「適正利用」だけだ。

森づくりは、早くやめて、森の適正利用をしてもらいたい。

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小田原市自治基本条例研究 2 相互の情報発信

小田原市自治基本条例について、第一回は補完性の原理について書きました。今回は「相互の情報発信」について解説と意見を書きます。この条例で評価でき、今後の市民活動に活かしたい部分です。

第14条について、条例文、素案、骨子案を比較してください。

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● 条例文
(まちづくりに必要な情報等の共有及び活用)

第14条 市民及び市は、まちづくりの取組を効果的かつ継続的に進めるため、まちづくりに必要な情報、知識、技能等を適宜、適切な方法により相互に提供し、共有し、及び活用するよう努めるものとする

● 素案

(情報の共有及び活用)
第14条 市民及び市は、まちづくりへの取組を効果的かつ継続的に進めていくため、まちづくりに必要な情報、知識、技能等を適宜、適切な方法により相互に提供し、共有し、及び活用するよう努めるものとする。

● 骨子案

6-1-1:市民、地域活動団体、市民活動団体、議会、行政は、自治の創造、みんなの幸せ、まちが元気になるための情報を、双方向に発信し合い、共有し、活用していきます。

6-1-2:まちづくりに関する情報は、必要な時に、必要とするところに適切に届けられ、必要とする人が容易に取得できるようにすることが必要です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
素案がほぼそのまま条例になっています。情報共有については、かなりの程度意見を述べた事を覚えています。委員としての思いが、条例に反映されているとの思いを持てた部分です。

情報共有については、小田原市の自治基本条例は画期的であると言えるかもしれません。それは「相互に」という言葉が入っている事です。行政の持っている情報を市民に公開しなくてはいけないと言う条文をもっている自治体はかなりの数になります。市政の情報を市民の要求により公開する、さらに積極的に開示していく事を規定する条項は、今ではかなり普遍的に見受けられます。これらは、行政つまり公から私への情報提供、情報共有についての一方的な規定です。

ところが、「相互に」との一言により、市民から行政、私から公への情報提供も努力規定となっています。まちづくりのためには、市民も行政に対して情報、知識、技能などを提供する努力をしなくてはならないと言うことです。

情報公開の権利は歴史的に市民がすこしずつ獲得して来たものでした。

過去には、公は独占的に情報をもち、民には公の事は知らされないものでした。戦後、情報公開の要求がなされ、徐々に行政の情報公開規定がつくられ、一部の市民が情報公開請求を行うようになりました。

ただ、大部分の市民は公開請求をする事なく、情報の存在も認識していない状況に、さらに積極的開示の規定もつくられ、市政情報センターのようなものも各地に作られました。まだまだ、不十分ですが、公の情報を公開する思想はかなり進展して来たと言えるでしょう。

近年、民の力の向上や情報化社会と呼ばれる時代になり、今や「公」のもつ情報より、民のもつ情報の方が高度な場合が多くなってきました。特に専門家の少ない市町村においては、民のもつ情報や知識の方が圧倒的に高度になっています。

ですので、過去のように行政に対して、情報公開を要求して不備な点を糾弾していくような事だけでは、まちづくりが良い方向に進まない時代になつて来ています。行政の企画力より、民のもつ企画力や行動力が高度になっていくのは時代の趨勢です。このような時代の公と私の関係は、糾弾型、おねだり型から、積極提案型、協働型に進化していくべきです。このような意味で、委員として「双方向性」について繰り返し言及して、それもあって最終的に「相互に」と言う文言が残されたのは大きな成果と思っています。

自分は、委員会で情報公開について、双方向性とともに、繰り返し意見を述べた事として、情報の「リアルタイム性」があります。情報公開も時期が不適切であれば、情報の隠滅と変わらない事になります。開発や大規模公共施設の建設情報などが、設計図も完成した時点で公開されても市民は意見を述べる機会を失ったり、調査費などの大きな無駄を生じます。できるだけ細かく、将来はリアルタイムに情報共有される事により、より効率的にまちづくりが可能になります。

双方向性とリアルタイム性を主張した根底には、SNSを始め、近年の情報システム、社会システムの発展が頭にあります。Facebook などを使えば、数分れべるでリアルタイムかつ双方向の情報共有が可能になります。自治基本条例と並行していた行財政改革検討委員会での議論なども参考にしました。

情報の双方向の共有は、もちろんデジタルの手段だけでなく、市長への手紙や、パブリックコメント、市民委員による委員会、大きく言えば議会制度そのものも双方向性を担ってはいます。ただ、その緻密さや専門性、リアルタイム性には不足する所があります。

条例には「適宜、適切な方法で」と一言ありますが、その背景には、今後相互の情報共有を適切な時期に行う手法を創造していかなくてはいけないとの意味が込められています。「リアルタイム」のような用語は条例文にはそぐわない事から「適宜に」との用語になっていますが、時期を逸した情報公開は条例違反になるのかも知れません。

よく読んで頂ければ、かなり画期的な内容の条文である事が理解して頂けるものと思います。小田原市では、このような方向性の広い意味での情報共有が試みられています。オープンスクェア方式、市民ホール検討委員会での専門委員会と市民委員会との形式、市のfacebook の利用など少しずつ試みが進んでいるものと理解しています。

ただ、制度がつくられ、システムが構成されても、市民の「書込」(相互の発信)がなくては、制度も絵に描いた餅になります。情報の市民からの提供を義務や押しつけと捉えるのではなく、情報公開の流れの中で獲得してきた権利や成果と捉えて、多くの市民が積極的に情報の提供をしたいものです。


骨子案との比較で、条文では不明瞭になった部分があります。


「必要な時に、必要とするところに適切に届けられ、必要とする人が容易に取得できるようにする」との文面ですと、多くの人に明確ですが、条例文では分かりにくいと思います。でも、これらの意味が、縮約されて込められているとの委員会での議論があった事を記憶しています。

骨子案では「市民、地域活動団体、市民活動団体、議会、行政は」と、主語に並べられています。条例では「市民及び市は」となっています。条例の定義項目との精査が必要ですが、少しずれている部分もあります。情報の双方向性、リアルタイムでの共有は、あらゆる立場の間でも推進されるべきものです。もし、抜ける主体があるとすれば、議会基本条例や、諸条例で同様に規定する必要があるかも知れません。

それから、情報共有が「まちづくりを進めるため・・」と限定した形になっています。まちづくりではない市政の部分では、情報共有しなくては良いのか。まちづくりとは何か・・・定義項がないだけに、気になる所です。

相互の情報提供、市民からの情報提供という事で、昔の日本の隣組制度や、旧社会主義国家での密告制度などを思い浮かべる人もいるかも知れません。そのような意味ではない事は、次の条項で「個人情報」について規定してある事と並べて解釈して頂ければ理解して頂けると思います。また、まちづくりと限定した意味もここにあるかも知れません。

近年、小田原市では、市民と行政の協働が少しずつですが、より進みつつあります。市民が市に提供するのは情報だけでなく、知識、技能なども含まれます。市の文化振興のために、自分達の芸術やものづくりの技能などで参加する事も、広くこの項には含まれています。


条例を良く読み込んで頂き、その到達した成果をより発展させるために、より積極的にプラスの価値をもつ情報や知識・技能を市民の側から主体的に発して頂きたいと願っています。この条項に関わった一委員としての意見とお願いです。


 元 自治基本条例検討委員 森谷昭一


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市民ホール基本計画意見交換会

1月9日 小田原文化会館で、市民ホール基本計画意見交換会が開かれ市民委員として出席してきました。専門委員会と市民検討委員会が並行して行われてきて、最終段階で市民検討委員として専門委員との意見交換をする場でした。

内容については、多岐に渡るので、行政でまとめてくれる報告にまかせて、ここでは自分が出した意見について紹介しておきます。

事業・運営・市民参加」などについての班と、「施設機能」についての班が作られ、45分づつで交代して意見交換しました。

● 事業・運営・市民参加について

運営主体として、「直営」、「指定管理者」、「ホールボランティアとしての参加」、「事業企画・推進役としての運営への参加」、「施設の管理運営者としての参加」まで、様々な形があるとの資料が提供されていました。どんな程度の参加にするかは市民としての覚悟によるとの専門委員のお話でした。

それに関して、自分の意見です。

1 公と私の関係について「新たな公共」といった言葉で行政と市民との協働のありかたを模索する動きがあるが、今後の50年間を考えれば、今までと違った社会システムが発明されるかもしれない。文化創造と言うが、中身の創造に合わせて社会システムも創造していくべき。既存の運営システムにとらわれずに工夫をして行けば良い。

2 専門スタッフと素人との関係について議論があるが、文化創造には絶対的に専門家が不足している。市民が専門家になれるような育成事業をおこなったり、文化創造そもののが専門家育成になっていくようなシステムも考えて良い。

次のような意見がだされました。

「現行の施設の予約について、定期行事などが入ってしまっていると、新規の試みをするような企画などが入りにくい状況がある。」公平な運営システムが必要である・・・

それに対して、自分の意見ですが

3 文化企画についても、ある程度の競争や市場原理が働くようなシステムでないと文化活動も疲弊する可能性がある。その意味で、資料にもあるような「評価システム」を作っておく事が大切である。

4 評価は様々な形がある。大きな所では、地域としての評論活動や文化ジャーナリズムが活動しても良い。そのような担い手を育成していく事も文化創造のひとつだろう。

それに対して、市民が企画などを進めるには限界もある。かなりの負担で、はやり安定的な専門職に頼わざるを得ないのではないかと言った意見もありました。

「市民でやろう・・・」そんな意見も少なくはないのですが、全体の議論として、まだまだ、そこまでの「市民力」が醸成はされてはいないのかも知れないと言う気もします。

● 施設機能について

自分の出した意見としては

1 「環境に配慮して」との文言もあるが、省エネとかあくまでも付帯的な意味合いである。さらに進んで「環境調和」と言う言葉を使い、都市における土壌形成、庭園と一体化した自然な建築を目指してもらいたい。現在2本のマツがあり、残す事が決まっているようだが、それだけでもホールの景観などを規定る事になる。「都市の中の森」といった提案をしているが地域全体の生態的な地位を保てるような場にしてもらいたい。

2 将来の状況変化に対応できる骨格の構造をとってもらいたい。

でした。2 については専門委員の先生からも、そのように考えているとの事でした。

また委員のひとりから、材質について強く「木造」を押す意見がありました。なかなか受け入れられない事もあるが、実現させるにはどうすべきかとの意見も加えられました。


自分は、外観について、意見を出しました。

3 小田原は木の町であると共に、石と水路のまちでもある。外観が無愛想にならないように地元産の石などを使うようにしてもらいたい。

費用の点で、異論もありましたが、部分的にでも実現してもらいたい事項です。山本理顕氏の無機的な外観を否定してのスタートですので、やはり自然なやさしい外観にしてもらいたいとは思います。

ただ、石についても木についても構造設計や法令上の縛りなどで、困難な点も多く実現には研究費などにも費用がかかる事も予想されます。

バリアフリーや防災についても多く意見がだされました。バリアフリーについては、建築基準なども含めてかなり基準がつくられて来て、大部分のリクエストが叶うものと思われます。

防災の機能についても多数の意見がありました。ただ、あまりそれにこだわって、本来の機能を削ぐような事があっても好ましくないとの意見もありました。

屋上の防災上の機能についても話がありました。環境調和も考え屋上を庭園のような形にして、駆け上るようなスロープをつくるのも良いかも知れません。

ここに集まった人達は、ホールはつくるものとの前提で話し合っていますが、市民の中には不要論やもっと小さなもので良いとの意見もあります。ただ、文化部長の最後の言葉にもあったように、文化が一部の人のものではなく、市民全体のためになるような活動をする中で、より多くの人の理解が得られるものと思います。市街地活性化や教育や福祉のと有機的に関われる文化政策の中で実現していくべきでしょう。

これに関して、意見交換会で言い忘れた事を追記しておきます。

市民ホールに否定的な人の中には、建てたい人は自分達で費用を出したら・・といった意見もあります。ある程度は納得できる意見で、たとえば将来、ホールを利用したい人は前もってファンドに拠出するなんて事もありかと思います。

ただの寄付とかではなく、将来10年間の間の公演のチケットと優先的に交換できる証券を販売して、建設費用や企画費用にする。利用団体には優先利用権を前もって購入してもらう・・なども考えられるかもしれません。後の収入を拘束してしまうので、危険な面もありますが、綿密な試算ができればありえるかも知れません。老後に日々楽しめる公演の権利だったら自分は購入しても良いとは思います。

その他、様々な意見がありました。ごく一部の私的な意見の部分を書かせてもらいました。

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小田原市自治基本条例研究1 補完性の原理

本年1月1日より小田原市では自治基本条例が施行されました。昨年度まで2年間に渡り、自治基本条例検討委員会市民委員として制定に関わった経緯から、この条例について解説と意見を順次、この場で発表させて頂きます。

系統的ではなく、思いついた項目から、随時解説と意見を書いていきますので、御意見などコメントください。

第一回は、5条の (市民の役割) についてです。条例はこうなっています。


条例
(市民の役割)
第5条 市民は、まちづくりに参加する権利を生かすため、自らの行動に責任を持ち、それぞれの持つ力及び費やすことができる時間を使い、自発的にまちづくりに関与するよう努めるものとする。

それに対して素案ではこうなっています。


素案
第5条 市民は、まちづくりに参加する権利を生かすために、自らの行動に責任を持ち、それぞれの持つ力及び費やすことができる時間を使い、自発的にまちづくりに関わるよう努めるものとする。

2 市民は、自治の担い手として自ら解決すべき課題については、自ら解決するよう
努めるものとする。

較べて頂いて、お分かりのように第2項が条例では削除されています。素案として全市民に公開して意見を求めた後に、条例案がつくられましたが、その段階で削除されています。

素案のさらに前の段階の「骨子案」では次のようになっています。素案、条例案は行政の案ですが、骨子案は検討委員会としての「市民案」とおおよそ考えてください。

骨子案
(市民の権利と役割)
2-2:市民は、まちづくりに参加する権利を活かすために、それぞれの持てる力や時間を使って、自らの行動に責任を持ちつつ、自発的にまちづくりに関わることに努めます。

2-3:市民は、小田原市の自治を支える当事者として、自ら解決すべき課題は自ら解決することに努めます。

2-4:市民は、自ら解決できないような課題に取り組んでいる地域活動や市民活動を、応援していくことに努めます。

最終の条例案で削除された事項は「補完性の原理」と呼ばれるものです。

ウィキペディア

補完性の原理は、自治をできるだけ小さな単位で行い、それではできない事だけを大きな単位で行うべきと言う考えです。

市町村で出来る事は市町村で行い、どうしても出来ない大きな事は県や国で行う・・そんな地方自治の原理になります。 地方分権の原理にもなっています。

さらに、細かい単位、家庭で出来る事は家庭で、それで出来ない事は地域で、それでも出来ない事は市町村でといった市民自治の原理にもなります。

最終的は個人や小さな市民団体など小さなグループで行える事は、自ら行うと言う個人の力を重んじる基本的な考え方につながります。

この条項が削除された時点で、小田原市基本条例は、存在意義を大きく減じています。検討委員会の長い議論が、なんだっのか・・そんな思いすらありました。

この条項が残ったら、小田原市自治基本条例は、それなりの評価を受けたのではないでしょうか。

素案にあった項目が条例案で削除されたのは、素案に対するパブリックコメントによるものとされていますが、意見でこの項について明確に反対している意見はなく、次のような質問だけでした。


市民意見 →「自ら解決すべき課題」とは、具体的に は何を指しているのか。

市の考え → 第 5 条第 2 項は、「自分で解決できることは自分で解決に努 め、自分で解決できないことは、その内容に応じて、地域活 動や市民活動、あるいは、市・県・国によって支える」という 趣旨を規定したものです。「自ら解決すべき課題」とは、例え ば身の回りで発生する個人で解決することができる問題を 想定していますが、自明のことでもあり、この条項は見直しま す。

との事だけで、見直して削除されています。
意見とそれに対する市の考え

自明と事であるから、見直しして削除すると言うことなら、この項は1項の解釈として当然生きているという事でしょうか。自ら解決すべき課題を、身の回りで発生する個人では解決する事ができる問題・・と矮小化してしまっては、自治の基本哲学を失う事になります。

推測にしか過ぎませんが、この条項が「行政がやるべき事を市民に押しつける・・」、そんな意図にとられかねないから削除すると言った思惑が働いたのでしょうか。検討委員個人としては知りようもありませんが、長い議論をないがしろにされた感を持ちます。

小田原市では近年、「地域別計画」とか「地域コミュニティ」などが推進されていますが、市政をより小さな単位に任せていくと言う動きの基礎に、この条項はなった筈です。

この条項が、行政がすべき事を市民に押しつけるとか、市の責務を放棄する・・・等と捉えるとしたら、まだ市民社会への意識が未成熟と言われて仕方がないかも知れません。

「補完性の原理」は市民の権利の保障と同等の概念です。より小さな単位が、大きな単位に支配されない、個人を圧政や公の怠慢などから救うための権利保障と考えるべきです。

また、自分達で努力しても出来ない事は、より大きな単位である行政に委託できるという権利保障にもつながります。この条項がある事により、市民と行政の関係が明確になり、市民による行政への委託宣言にもなりえたと考えられます。

また、「骨子案」では、さらに 2-4 に 市民は、自ら解決できないような課題に取り組んでいる地域活動や市民活動を、応援していくことに努めます。とありますが、行政に委託するとともに、市民自らが地域活動や市民活動を「応援」するとあります。これは「相互扶助」「民と民の関係」によって問題解決をすると言う方向も示しています。

大きな災害時など日本人は相互扶助により困難を乗り越えたとして各国から評価されました。そのような地域の力や民と民の相互扶助の社会システムをより進めていく条項になった筈です。


補完性の原理については、また書きたいと思いますが、市民による検討委員会のこの条項が削除された時点で、市民による自治への委託と言う自治基本条例の骨格が失われたと、一委員として考えています。

法は法・・ですので、議会によって承認された条例は市民として受け止め、その趣旨を活かしていくべきと考えます。また同時に、見直し条項のあるこの条例ですから、将来の改正に向けて議論を始めていいきたいと考えます。 みなさんの御意見をコメントして頂ければ幸いです。
           
                         元 自治基本条例検討委員 森谷昭一


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