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長谷川潾二郎展展

長谷川潾二郎展

 松永記念館の長谷川潾二郎展をみてきた。

 長谷川がみせてくれる空間の静けさは、何と言葉にしたら良いのだろう。思い出したのは清宮質文清宮質文である。清宮の静けさは少し寒々しいが、長谷川の静けさは暖かみがある。

 詩人・文学者でもある彼は、的確な言葉を残し、その言葉の展示も展覧の一つの要素となっている。長谷川の描く世界は心の世界なのか、現実の世界なのか。1953年の「荻窪風景」をみると、電柱は描かれているが、電線は省略されている。細いから省略されたのか、文学世界だから電柱だけなのか。電柱は長い時間を経て人々の中に「文学化」され物語の主として心象化されてきた。しかし電線は、あまりに物質的なのでキャンバスには登場しなかったのか・・

 またこの時期の作品には影が描かれていない。荻窪風景でも人物は静止して陰影なく、ただ遠近法の中に置かれている。夢にはあまり影はない。そんな意味でも、現実と心の間の層のより心に近い部分で描かれた風景なのだろう。適度に省略され、図象化された彼の初期の作品の静けさに人々は癒されるのではないだろうか。
 晩年に近い1970年の「静物」などは、見事に影と反射が描かれている。机に映ったほのかな静物の陰影がかえって「物」の存在感を表現し、反射のような美しい情景が起きる空間そのものへの賛美が感じられる。

第一印象を描く、現実との接点を探る、・・・そんな彼の試みが後期の作品には明確に表現されている。

作品数は少なかったが、静かにみる事が出来て、良い作品の数々に出会えたと思う。

今回は、おだわらミュージアムプロジェクトの第一回目の試みとの事だが、展示に関しては、残念な事が多い。
 まず、照明の調節が不十分である。ガラスに映る鑑賞者の姿が強すぎて、充分に作品を鑑賞できにくい。額にもガラスがある作品は二重に反射面を通るためにさらに見にくい。作品のマチエールを感じたい欲求には応えていない。今後、ミュージアムとして活用するなら、照明設備を見直すべきだろう。本館の展示は、蛍光灯での照明である。色温度、室内照度と展示の照度との関係など細心の工夫が欲しい。

もともと一般展示を想定していない設計なのか、仕切られた部分が独立した空間になっている。だったら、それを利用しての似た作品を集めての小テーマ展示など工夫できるかもしれない。「展示が何かを語る・・・」そんなレベルにもっていってもらいたい。

詩人でもあった長谷川の文章の展示も画を理解する上で有効だ。良い言葉にもめぐり会える。ただ、その展示の表装の技がいかにも素人だ。端がきちんと裁断されていなかったり、凹凸があったりする。猫のひげを画くのにに何年もかけて果たせなかったと言うこだわりの画家だ。その厳しさに応じる、展示技能をもってもらいたい。

 「良い画は、その周囲を良い匂いで染める。」とは展示されている長谷川の言葉だが、この言葉どうりに、彼の画が発する高貴な匂いの発散を受け止める展示空間を企てて欲しい。今後、地域に大家の作品を招聘するプロジェクトが進められようとしている。作品の発する匂いや力を受け止められる厳しい技に支えられた展示空間を用意すれば、きっと優れたアーティストの作品が、地域にも展示されるようになるだろう。
  も/あ

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