植樹イベントの謎・・

植樹イベント、特に子供達向けのそれは、やめた方が良いと思っている。

ある時期、日本中がはげ山のようになり、木を植える事が国民的大運動であった時の名残りなのだろうか。また、特定の主唱者からの流行が続いているのだろうか。

植樹のイベントを手伝わせてもらった事があるが、なかなか心が痛むような事が多かった。

まず、適地適木 ではない、こんなので育つだろうかと思える樹種が無造作に植樹される事が少なくなかった。主催者が安易な考えで入手しやすいだけで苗木を選ぶ事もある。

次に、植えるだけで、手入れの事はまるで考えていない場合が少なくない。植樹した後に行ってみると、草に覆われたり蔓がからまっていたり、育てるつもりがあるのか、主催者も植えた人達も、木の事など忘れているように見える。それとも、植えておけば何もしないでも、大人になった時に大きく育った木に出会えると言うつもりなのだろうか。

生き物を育てると言う事は、最後まで責任をもつ事を教える義務があると思う。安易なペットの飼育で動物が虐待されたり、大きくなって捨てられたりと、生き物飼育に対する心構えを、きちんと理解してもらう教育が必要である。動物はもちろん、植物でも同じとは思う。木も植えたら、その後手入れをする前提なら、植樹も少しは教育効果はある。

また、生態系の中で育てると言う、一番子供達に伝えたい事が、植樹イベントにでは伝わらない。

ひどい場合には、植樹イベントのために木を切り払って、更地にして、芝生にしたような所に植樹をしたりする。苗木は、子供達が拾ったドングリをポットで育てたりものだったりする。いったい森の生態系の事を多少でも分かっているのか謎に思う事がある。

森を育てるには、自然の更新力を活かす事が大切だ。イベントで植樹した苗木の近くで、もっと適木と思われる種の幼木が芽生えていたりする。植える時に、近くの植生など観察しないのだろうか。

自然の芽生えを見せてあげる方がどんなにか教育的な事だろうか。森は適切に伐る事で育つと言う面を是非とも教えたいと思っている。これは、自然観の教育の問題である。安易な植樹は、植木鉢で花を育てる教材と同じで、水や肥料などを人が「あげて」、完全コントロールするという工業的農業を支える科学観を意図せずに与えるものだ。

もちろん、作業をうまく組み立てて、植樹を立派な教育にしている事例もある。また、人間により砂漠化した土地や、公害によって荒れた土地に、適地適木で植樹をしていくような、適切な植樹もある。それを市民の手で行い、保護者につれられて一緒に仕事をするなどと言うのはきっと子供も得る事かあるだろう。

特に、行政や団体で、お祭り的に植樹行事をする時など、子供達はまったく利用されているばかりだ。来賓に子供が花束を渡す役みたいなものだ。稚魚の放流でも、花の種まきでも、花壇の花植えでも、なんだか大人の満足のために子供が利用されているようなイベントが少なくない。


子供達に本物を与えたい。もっと骨太の自然観を与えたい。もっと森の中を危険に対応しながら歩いて、木か倒れて、その隙間に、次の芽生えがそだったり、競争で枯れていったり、そんなダイナミックな森の世界をしって、その上でどうしても木を植えた方が良いと知ってから、育てる事を前提を子供達と木を植えてみたい。


また子供達にドングリを播いて育ててもらってから、どこかそれを植えるられる森はないかと相談される事がある。今、木を植えるべき森はそんなにない。伐るべき森の方が多いかもしれない。不適切な人工林を伐って、天然更新させた方が好ましい森の方が多い。

子供達に植えて欲しい場所は、街の中だ。学校の中だ。街の中、子供達の育つすぐ側に樹木が足りない。木登りしたり、木の実で遊んだりできる樹木が街に少ない。植えて、自分で育てて欲しいのは、街の中だ。自分達のために。

子供達と、街のどこに、どんな木が欲しいか、調査をして地図をつくって、自分達の木を近くに育てていく。そんな事ができた時、植樹は本当の教育になる。そのための都市計画や、そのための公園管理など、大人のしなくてはいけない事はたくさんある。そんな事を解決してから、子供達に植樹をしてもらいたい。安易な事は何事も良くない。

植樹、特に子供達に植樹をしてもらう時は、次の事を最低限満たしてもらいたい。

 ○ 植える場所の整備から、育苗、手入れまで一連の作業を継続して行える事。

 ○ 木がないところに植えること。森でなくて街や砂漠化したような土地。

 ○ 自分達で植えようという意思をもってもらえる時のみに行う。

こんな条件で、出来るのは限られていると思う。やろうとすれば、林業家の家族や、親子で参加している市民団体や、学校林を育てる学校教育など限られるだろう。でも、そんな本当に教育的な植樹のできる組織作りが出来た時、世代を超えて持続する森づくりの運動になるだろう

困難そうでで本当は簡単な事だと思う。

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階層性世界観

正しい知識をもつための王道は・・・まず、数学をきちんと学んで頭を鍛える。

次に、その力で物理学を学ぶ。当たり前の事を当たり前であると言える頭脳ができる。

次に化学を学ぶ。できるだけ実験をして、どんな出来事も化学反応のひとつだと言う確信をもつ。

有機化学の応用として生物学を学ぶ。命も化学反応であり、遺伝や生理も数式どうりに動いている事を身にしみて覚える。

ここまでの基礎学力があれば、大脳生理学とかはすぐに分かる。どんな複雑な人間感情も、神経回路網でおきている出来事だろうと分かる。

天文学から地球物理、地質学と進んで、数億年単位のスケールを身につける。人類の愚劣の歴史も、その中にきちんと位置づけられるようになる。いつか人類が滅びる事も、地球が太陽に取り込まれていく事も、有りと前の事と認識できるようになる。

こんな順番で物事をきちんと学ぶと、ひとつの世界観をもつ事になる。階層性世界観といって良いだろうか。本当の科学者とは、このような階層性世界観を身につけている人間の事をいう。

すべては物理法則や化学反応である・・・還元主義と言うが、それとは違う。物理も化学も生物学も実験や調査をしつつ学ぶと、還元主義には陥らない。多様性の無限さにすぐ気付くからである。

理科教育、科学教育の目標は「階層性世界観」を次世代にももってもらう事だ。狭隘な部分知、専門という知的病に陥ってしまって、階層性世界観をもっていない科学者や教員も多い。

環境について考え、実践していくには階層性世界観は不可欠である。環境を改善していく「戦略的思考」は階層性世界観から導かれる。

階層性世界観を是非学んで身につけて欲しい。少しは仲間が増えるのだが。きちんとした階層性世界観をもつ人は小数なので、仲間がすくないのだ。

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「ESD」って知っていますか・・・

英文頭文字をつらねた用語が氾濫していて、「それ何?」と思われるとは思いますが

 E S D

ってご存知ですか・・・

Education for Sustainable Development

の略号で、持続可能な開発のための教育 で、国際社会の共通理念 「持続可能な開発」を推し進めるための教育としての動きです。

所謂「環境教育」とだぶる部分が多いのてすが、自然学的な環境学だけでなく、広く社会・文化などふくめた総合的な教育活動です。

特に地域密着型の市民団体や企業などのステークホルダーとの連携で実践的な教育活動を作り上げていく事にも特徴があります。

持続可能な開発のためには、循環型社会の構築のために、ありとあらゆる方策をとらなくてはならなわけです。そのための、市民意識の醸成や担い手育成のための教育がESDとなります。人類生き残りをかけた教育といっても良いかもしれません。

次のリンクあたりから情報収集をしてください。

ESDとは

様々な現代の社会課題解決しようとしていくと、あるひとつの方向にあらゆる分野から集中していくキーワードがあります。 「地域のつながり」 「再生」「多様性」「総合性」「多様性」などの方向です。

地方分権とか、個性化とか、いろいろな人がいろいろな事を言っていますが、人類の進むべきある方向性に気付けば、みな似たような事です。ESDもそのうちのひとつと言えるでしょう。

これからの時代に向かって、覚えておいてもらいたい略号です。


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