新九朗通信10月号

小田原のギャラリー新九郎さんから「新九郎通信がとどきました。小田原のアートシーンが分かります。

表面
201410
裏面もあります。pdfをダウンロードしてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おむすびとおにぎりの違い・・・

おにぎり と おむすび の違いは何か。 文字通り お握り と お結び との言葉通りにつくってみた。

Img_0332_2
お握り・・・は作るのが簡単。なので普及している。お結び・・・はつくるのが困難・・・
なので、出回っているのは、 お握り が正しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新九郎通信4月号

ギャラリー新九郎の「新九郎通信4月号」です。小田原のアートシーンが良く分かります。


Shinkuro244


表面は次からダウンロードできます。


「shinkuro2012.4s.pdf」をダウンロード

裏面はこちらからダウンロードできます。

「shinkuro2012.4u.pdf」をダウンロード

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文学館カフェ

3月30日 小田原文学館で「文学館カフェ」が行われていて、少し見に行ってきました。
Img_8289
カフェ・・と言うので、なんとなく喫茶店のようなものと思い込んでいましたが、どちからと言うと「お祭り露天」。マルシェとかの規模の小さいみたい雰囲気。みんなで、お茶を飲んで語り合う・・ってな感じではないです。

湘南白秋まつり・・の一貫として行われているので、白秋にちなんだ品物がありました。白秋カステラとか木菟クッキーとか・・

Img_8280

お汁粉・・展示が少しアートしてました。

Img_8274

童謡館の方では、「つるしびな」をやってました。

Img_8282

昨日まで良い日差しだったのに、今日は風が強くて、寒い・・・・庭園の椅子に座って、ゆっくり楽しむなんて事は出来ずに残念。スタッフの皆さん頑張ったのに、天気がいまいちでもったいない。野外を楽しむ、イベントは難しいですね。

文学館の方はいつもどおりの有料。こんな機会だから無料とか割引とかして、中と外で両方いっしょに楽しめると良いのに・・・

ここの建物は、「カフェ」・・・の言う響きが似合う洋館・・。文学とお茶が楽しめる演出をしたら良いですね。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

新九郎通信3月号

ギャラリー新九郎さんの「新九郎通信3月号」です。小田原のアートシーンが良く分かります。

Shinkuro20123s

PDF版、表は次からダウンロードできます。

      
  「shinkuro2012.3s.pdf」をダウンロード

裏面はこちらから

  
  「shinkuro2012.3u.pdf」をダウンロード

| | コメント (0) | トラックバック (0)

びるぼっくり お知らせ

足柄アートフェスティバル、工場まるごとプロジェクトのうち、「びるぼっくり」のバンフです。ぜひご覧になってください。
Bilbokuri

下記よりダウンロードできます。

「bilbokuri.pdf」をダウンロード


| | コメント (0) | トラックバック (0)

新九郎通信2月号

ギャラリー新九郎さんの「新九郎通信2月号」です。今月の表面では、足柄アートフェスティバル、裏面では長谷川潾二郎展展を詳しく取り上げています。

うちで、印刷している関係でこの場でご紹介します。おだわら、西湘地域のアートシーンが良く分かります。

Shinkuro241s

表面は、こちらからダウンロードください。   
「新九郎通信表面」をダウンロード


裏面はこちらから
「新九郎通信裏面」をダウンロード

| | コメント (0) | トラックバック (0)

長谷川潾二郎展展

長谷川潾二郎展

 松永記念館の長谷川潾二郎展をみてきた。

 長谷川がみせてくれる空間の静けさは、何と言葉にしたら良いのだろう。思い出したのは清宮質文清宮質文である。清宮の静けさは少し寒々しいが、長谷川の静けさは暖かみがある。

 詩人・文学者でもある彼は、的確な言葉を残し、その言葉の展示も展覧の一つの要素となっている。長谷川の描く世界は心の世界なのか、現実の世界なのか。1953年の「荻窪風景」をみると、電柱は描かれているが、電線は省略されている。細いから省略されたのか、文学世界だから電柱だけなのか。電柱は長い時間を経て人々の中に「文学化」され物語の主として心象化されてきた。しかし電線は、あまりに物質的なのでキャンバスには登場しなかったのか・・

 またこの時期の作品には影が描かれていない。荻窪風景でも人物は静止して陰影なく、ただ遠近法の中に置かれている。夢にはあまり影はない。そんな意味でも、現実と心の間の層のより心に近い部分で描かれた風景なのだろう。適度に省略され、図象化された彼の初期の作品の静けさに人々は癒されるのではないだろうか。
 晩年に近い1970年の「静物」などは、見事に影と反射が描かれている。机に映ったほのかな静物の陰影がかえって「物」の存在感を表現し、反射のような美しい情景が起きる空間そのものへの賛美が感じられる。

第一印象を描く、現実との接点を探る、・・・そんな彼の試みが後期の作品には明確に表現されている。

作品数は少なかったが、静かにみる事が出来て、良い作品の数々に出会えたと思う。

今回は、おだわらミュージアムプロジェクトの第一回目の試みとの事だが、展示に関しては、残念な事が多い。
 まず、照明の調節が不十分である。ガラスに映る鑑賞者の姿が強すぎて、充分に作品を鑑賞できにくい。額にもガラスがある作品は二重に反射面を通るためにさらに見にくい。作品のマチエールを感じたい欲求には応えていない。今後、ミュージアムとして活用するなら、照明設備を見直すべきだろう。本館の展示は、蛍光灯での照明である。色温度、室内照度と展示の照度との関係など細心の工夫が欲しい。

もともと一般展示を想定していない設計なのか、仕切られた部分が独立した空間になっている。だったら、それを利用しての似た作品を集めての小テーマ展示など工夫できるかもしれない。「展示が何かを語る・・・」そんなレベルにもっていってもらいたい。

詩人でもあった長谷川の文章の展示も画を理解する上で有効だ。良い言葉にもめぐり会える。ただ、その展示の表装の技がいかにも素人だ。端がきちんと裁断されていなかったり、凹凸があったりする。猫のひげを画くのにに何年もかけて果たせなかったと言うこだわりの画家だ。その厳しさに応じる、展示技能をもってもらいたい。

 「良い画は、その周囲を良い匂いで染める。」とは展示されている長谷川の言葉だが、この言葉どうりに、彼の画が発する高貴な匂いの発散を受け止める展示空間を企てて欲しい。今後、地域に大家の作品を招聘するプロジェクトが進められようとしている。作品の発する匂いや力を受け止められる厳しい技に支えられた展示空間を用意すれば、きっと優れたアーティストの作品が、地域にも展示されるようになるだろう。
  も/あ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新九郎通信2012年1月号

小田原伊勢治書店にあるギォラリー「新九郎」さんの「新九郎通信2012年1月号」です。うちで印刷している関係で、ここでもお知らせします。

Shinkuro121


Pdf 表面はこちらから

「shinkuro2012.1s.pdf」をダウンロード

Pdf表面はこちらから

「shinkuro2012.1u.pdf」をダウンロード

| | コメント (0) | トラックバック (0)

演劇評論「言葉は宙に舞う 僕はそれを見ていた」

12月3日 演劇プロデュース螺旋階段「言葉は宙に舞う、僕はそれを見ていた」を観ました。ラゾーナ川崎プラザソルでの公演です

久しぶりに素人演劇評論家の仕事をしてみます。

 「言葉は宙に舞う、僕はそれを見ていた」

 あらすじ

本当は社会派記事を書きたい主人公の女性フリーライター。今は子分の男子をつかって下世話な記事でしのいでいる。同居の神経質な女子はアイドル志望。元上司の大手雑誌編集長から大臣の不正を暴く仕事を回してもらう。知り合いのスター女優と、絡み役のレズのニューハーフとのドタバタを積み重ねながら、みんなで大臣との接触を試みるが外される。やがて伏線となる大臣秘書登場。実は、主人公と異母兄弟。奥の手で、その関係を使って大臣に揺さぶりをかける。やがて証拠写真も得て、大スキャンダルになるかと思うと、権力の力で編集長に圧力ストップ。しかし、これで負けないと面々改心団結して、不正に立ち向かう・・が。複雑なのは主人公と異母兄弟秘書。独立欲求と庇護欲求の複雑な心理の深い隙間に、「何も伝わっていない・・・言葉だけが宙に舞う」・・そんなセリフでやがて幕に。

  評論
ドタバタで人を笑わせ、はらはらしつつ考えさせ、最後に人間性の深みを垣間見させて感動させる・・・そんな3段階が城常套手段のひとつだろう。今回の公演ははじめの段階は大成功、二段階目はちょっと平板、そして3段階目への挑戦で力がつきたのではないだろうか。

今回の公演での3段階を3つの階層として分析してみよう。

1 自堕落な個性描写やドタバタで人をひきつけ笑いをさそる→ 第一階層
  アイドル志望女子 女優 ニューハーフ 男子 などの定型的な個性描写とありがち心理の羅列


2 その中から人の正義感や真剣なまなざしをみせる→ 第二階層
  主人公、編集長がスクープ合戦ゲームから脱して、社会の一致団結で不正に臨む

3 人間性の奥底を垣間見て、観客に深みを感じさせ感動させる→ 第三階層
  異母兄弟の複雑な愛憎と、様々な個性の俯瞰で、人の心の深みを感じさせる。
  そして大切な何かが伝わらず言葉が宙に舞う姿を観客に見せつける。


評者としての評価はこんなものだ。ABCDE 5段階で評価してみよう。

 台本・演出  BからC
 役者     BからC
 照明・音響  C

舞台の巧拙は、演劇のもつ「構造」をいかに、台本、演出、役者、照明・音響などが共有して協働構造としての「メリハリ」をもてるかにある。先に分析した3階層毎の断絶と強調を、言葉の強弱、舞台転換、照明の切り替え、音の使い方などでいかに「表現の塊」をつくる事ができるか。

 暗転、人物登場などの「場」の設定が、物語の多重構造を反映できているかと言えば、少し安易な作り方だ。また、演技としては、声のダイナミズムが一本調子だ。あの小さなホールでは、声も音響も大きすぎる。正義の第二階層と、深みの第三階層を声の大小で演じ分けるくらいの工夫もできるはずた。ドタバタの個性描写と、正義物語の階層をもっと演じわけてもらいたい。照明は、位置合わせ等に時間がとれなかったのだろうか、光で物語りを区切るまでに至っていない。脇役達は、地でもあろうか、ドタバタ階層は良く演じわけている。だが、第二階層への切り替えが充分できていただろうか。三つの階層を明確に身体言語として演じ分けた時、役者は真に「役」者となるのだろう。そして、声、演技、照明、音・・それらがびったりと、きれ良く一致した時、観客は物語の構造を明確に受け止める。

 役者、演出、照明、音響、それぞれの台本にどれだけ「書込」はあるのだろうか。演出家の提示する、構造を台本に線で区切り、色分けてして、書込して、全員で共有していくそんな作業の切り込みの深さが良い舞台をつくる。観客には見えない、そんな仕込みが深くなれば、きっと人を揺り動かせる舞台となるだろう。

 三つの階層を主人公フリーライターは演じわけなくてはならない。それはある程度成功していて、好ましい演技だった。第二の主人公と言うべき、秘書役は、なんとか第三階層をうまく演じて欲しかった。それぞれ脇役達は、地でもあろうか、それなりに好演であった。ちょっと毛色の違う個性をもつ役者集団である。様々な物語を、それなりに演じ分けていけるだろう。またの公演が楽しみではある。

さて、題名の「言葉は宙に舞う・・僕はそれをみていた」の僕はだれなのだろうか。作者は誰と設定しているのだろうか。

 評者の持論であるが、「演劇は、観客を神の位置に置く。」ものと思っている。舞台で演じられるドタバタ、正義物語、深層心理構造・・・それらを、黙って悲哀をもって静かに眺める。そんな特権的な位置に観客をもっていけるのが演劇の空間だ。宙に舞う言葉を楽しみ、断絶の悲哀を神のようにみつめる。そんな視点を観客に与える演劇が良い舞台だと思う。宙に舞う言葉は楽しめた。それをみつめ、それを統一する思考を、こんな演劇から始められれば素晴らしい事だと思う。

蛇足だが、言葉が宙に舞い、統一していかないもどかしさ・・・どこかのまちの最近の姿のようで、なんとなく可笑しい。 より磨いて、また再演してもらいたい。

 も/あ

参考のために、ミクロコスモスマガジンのバックナンバーをみてください。昔の演劇に関する記事です。

転形劇場 水の駅


| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧