演劇評論「言葉は宙に舞う 僕はそれを見ていた」

12月3日 演劇プロデュース螺旋階段「言葉は宙に舞う、僕はそれを見ていた」を観ました。ラゾーナ川崎プラザソルでの公演です

久しぶりに素人演劇評論家の仕事をしてみます。

 「言葉は宙に舞う、僕はそれを見ていた」

 あらすじ

本当は社会派記事を書きたい主人公の女性フリーライター。今は子分の男子をつかって下世話な記事でしのいでいる。同居の神経質な女子はアイドル志望。元上司の大手雑誌編集長から大臣の不正を暴く仕事を回してもらう。知り合いのスター女優と、絡み役のレズのニューハーフとのドタバタを積み重ねながら、みんなで大臣との接触を試みるが外される。やがて伏線となる大臣秘書登場。実は、主人公と異母兄弟。奥の手で、その関係を使って大臣に揺さぶりをかける。やがて証拠写真も得て、大スキャンダルになるかと思うと、権力の力で編集長に圧力ストップ。しかし、これで負けないと面々改心団結して、不正に立ち向かう・・が。複雑なのは主人公と異母兄弟秘書。独立欲求と庇護欲求の複雑な心理の深い隙間に、「何も伝わっていない・・・言葉だけが宙に舞う」・・そんなセリフでやがて幕に。

  評論
ドタバタで人を笑わせ、はらはらしつつ考えさせ、最後に人間性の深みを垣間見させて感動させる・・・そんな3段階が城常套手段のひとつだろう。今回の公演ははじめの段階は大成功、二段階目はちょっと平板、そして3段階目への挑戦で力がつきたのではないだろうか。

今回の公演での3段階を3つの階層として分析してみよう。

1 自堕落な個性描写やドタバタで人をひきつけ笑いをさそる→ 第一階層
  アイドル志望女子 女優 ニューハーフ 男子 などの定型的な個性描写とありがち心理の羅列


2 その中から人の正義感や真剣なまなざしをみせる→ 第二階層
  主人公、編集長がスクープ合戦ゲームから脱して、社会の一致団結で不正に臨む

3 人間性の奥底を垣間見て、観客に深みを感じさせ感動させる→ 第三階層
  異母兄弟の複雑な愛憎と、様々な個性の俯瞰で、人の心の深みを感じさせる。
  そして大切な何かが伝わらず言葉が宙に舞う姿を観客に見せつける。


評者としての評価はこんなものだ。ABCDE 5段階で評価してみよう。

 台本・演出  BからC
 役者     BからC
 照明・音響  C

舞台の巧拙は、演劇のもつ「構造」をいかに、台本、演出、役者、照明・音響などが共有して協働構造としての「メリハリ」をもてるかにある。先に分析した3階層毎の断絶と強調を、言葉の強弱、舞台転換、照明の切り替え、音の使い方などでいかに「表現の塊」をつくる事ができるか。

 暗転、人物登場などの「場」の設定が、物語の多重構造を反映できているかと言えば、少し安易な作り方だ。また、演技としては、声のダイナミズムが一本調子だ。あの小さなホールでは、声も音響も大きすぎる。正義の第二階層と、深みの第三階層を声の大小で演じ分けるくらいの工夫もできるはずた。ドタバタの個性描写と、正義物語の階層をもっと演じわけてもらいたい。照明は、位置合わせ等に時間がとれなかったのだろうか、光で物語りを区切るまでに至っていない。脇役達は、地でもあろうか、ドタバタ階層は良く演じわけている。だが、第二階層への切り替えが充分できていただろうか。三つの階層を明確に身体言語として演じ分けた時、役者は真に「役」者となるのだろう。そして、声、演技、照明、音・・それらがびったりと、きれ良く一致した時、観客は物語の構造を明確に受け止める。

 役者、演出、照明、音響、それぞれの台本にどれだけ「書込」はあるのだろうか。演出家の提示する、構造を台本に線で区切り、色分けてして、書込して、全員で共有していくそんな作業の切り込みの深さが良い舞台をつくる。観客には見えない、そんな仕込みが深くなれば、きっと人を揺り動かせる舞台となるだろう。

 三つの階層を主人公フリーライターは演じわけなくてはならない。それはある程度成功していて、好ましい演技だった。第二の主人公と言うべき、秘書役は、なんとか第三階層をうまく演じて欲しかった。それぞれ脇役達は、地でもあろうか、それなりに好演であった。ちょっと毛色の違う個性をもつ役者集団である。様々な物語を、それなりに演じ分けていけるだろう。またの公演が楽しみではある。

さて、題名の「言葉は宙に舞う・・僕はそれをみていた」の僕はだれなのだろうか。作者は誰と設定しているのだろうか。

 評者の持論であるが、「演劇は、観客を神の位置に置く。」ものと思っている。舞台で演じられるドタバタ、正義物語、深層心理構造・・・それらを、黙って悲哀をもって静かに眺める。そんな特権的な位置に観客をもっていけるのが演劇の空間だ。宙に舞う言葉を楽しみ、断絶の悲哀を神のようにみつめる。そんな視点を観客に与える演劇が良い舞台だと思う。宙に舞う言葉は楽しめた。それをみつめ、それを統一する思考を、こんな演劇から始められれば素晴らしい事だと思う。

蛇足だが、言葉が宙に舞い、統一していかないもどかしさ・・・どこかのまちの最近の姿のようで、なんとなく可笑しい。 より磨いて、また再演してもらいたい。

 も/あ

参考のために、ミクロコスモスマガジンのバックナンバーをみてください。昔の演劇に関する記事です。

転形劇場 水の駅


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