自治基本条例研究 3 前文

小田原市自治基本条例研究の3回目として、前文をとりあげます。今回も 骨子案、素案、条例を比較する形で問題提起をしたいと思います。

骨子案は、市民による検討委員会の報告として提出されたもので、いわば「市民案」です。法務技術的な所に市民が関わる事はないとの意向で、検討委員会としては「骨子案」という条文になる前の状態で、行政に提出した形です。

それを市の法務担当も含めて担当者が「素案」を作成しました。この後、一回だけ、29回の最終委員会で素案についての説明と検討委員会としての意見を述べる機会がありました。骨子案から素案がつくられた経緯については、骨子→条例案対照資料があります。市民案と行政の案との比較と、違いの理由について記載してある重要な資料です。是非参照ください。

なお、先に3案の比較資料は、今回から最後に掲載する事にします。

1 前文については、オープンスクェアなどを通じても、「分かりやすいもの」「したしみやすいもの」との希望が少なくありませんでした。子供にも暗唱できるようなもの、市役所の職員が毎日仕事前に唱えられもの・・・そんな希望もありました。  北原白秋はじめ、文学の町として、文学的で格調の高いもの、・・そんな意見もありました。骨子案でも、「趣旨が分かりやすく伝わるような、なめらかであまり長くない前文」との記載になっています。

素案や条例の前文をみなさんはどう評価するでしょうか。作文の担当者は不明ですが、骨子案や、検討の過程で出された理想からは、ほど遠い文章です。これを暗唱する人もいないでしょうし、子供達どころか、堅い文章に慣れた大人でさえ分かりにくい文章です。

委員として、「前文は、条文を提示した上で、市民に公募したり、文学的な力のある人の力を借りたりしてはどうか。」と提案した事を覚えていますが、それどころではない・・締め切り間際の間に合わせ原稿ではないかと思えるほどです。骨子案から条例に至るスケジュールが極めて短い事も良い前文が出来なかった一因かも知れません。

前文は、条文と違い、少し冒険のできる部分です。詩人白秋の町らしく、詩の形の前文なんてのができたら、それこそ画期的だと思うのですか。一体、何が言いたいのか、ごく当たり前の事が掲げてあるとの印象しか多くの人に与えないのではないでしょうか。

2 骨私案の説明はに、「これまでの100年」と「これからの100年」の大きな転換・・との一言があります。明治以来の「中央から地方へ」の流れを転換して「地域から世界へ」の流れをつくろうとの意思表明にもなっていますが、この条例前文から、は「地域が主役となる時代」程度しか記述がありません。それだけの言葉から、条例の趣旨を理解してもらう事は、制定までの議論を引用してもらったとしても、無理に違いありません。

3 素案と条例の比較をして頂くと興味深いことがあります。素案では、自治会活動との言葉が明確に入っていましたが、条例では様々な地域活動と曖昧にされています。自治会についての議論はまた別に書きたいと思います。

「持続可能なまちづくり」との言葉も、素案にはありましたが、条例では消えています。「持続可能性」は、国際理念にも通ずる深い意味を与えられた言葉で、知らない人が条例にこの言葉をみつけたら、循環思想にも通ずる意味合いで受け止めたかもしれません。なお、持続可能との言葉は検討委員で、そのような深い意味に通ずるものかとの質問をした事があります。それに対して、それほどの意味づけは考えていないとの事でした。それが骨子案の「幸福感をもって暮らし続けられるまち」と言う言葉になっています。先年までの市政の方針には「持続可能な」との言葉がありましたが、今は「市民の力で未来を拓くまち」となりましたが、国際理念にも通ずる看板を下ろした事は残念です。

4 素案から条例案が作られ議会に送られましたが、素案と条例の違いは15日間のパブリックコメントによるものと言う事になっています。パブリックコメントと、それに対する市の意見は素案への意見とそれに対する市の考え方に詳しく記載されています。
 これを見て頂くと、担当者の意図が良く分かります。かなり詳しい意見に対しては、変更できないとの意見が多いのに較べ、わずかな指摘だけで、前文を変更しています。

素案に対する検討委員の意見を述べる機会は一回だけでした。またパブリックコメントに対して、検討委員が再度意見を述べる機会はありませんでした。最終回以後、特に検討委員と行政のやりとりはなく、条例がつくられていったようです。検討委員が一市民としてパブリックコメントに参加する事もありえたかも知れませんが、提案者側でもあり好ましくないと考え私個人としては意見は出していません。とにかく、最終段階は、スケジュールをこなすためにかなり拙速な制定経過で、委員としては特に前文は不満足なものです。

今までの100年と、これからの100年とは何か。そんな重要な意見交換を、どれほど多くの市民で議論ができたか、反省する事が多いですが、いつか、そんな議論を再度行い、いつかは格調高前文をもった条例に変わっていく事を望みます。

   元自治基本条例検討委員 森谷昭一

・・・資料・・前文・・・・・・・・・・

● 骨子案

前文
0-1:この条例の趣旨が分かりやすく伝わるような、なめらかであまり長くない前文とします。

0-2:地方自治・民主主義の「これまでの100年」と「これからの100年」の大きな転換点にある中で、前例にとらわれることなく、自治の進め方を変えていくことが求められているという時代認識を共有します。

0-3:「小田原市のこれからの100年」を築いていくために、小田原市の様々な自治の担い手は、対話し、信頼し合い、連携し、それぞれの持ち味を発揮していきます。それらの担い手が、小田原市を、より一層幸福感をもって暮らし続けられるまち、小田原ならではの多様性と地域性のあるまちにしていくためのよりどころとして自治基本条例をつくります。

【説明】
この条例には、全ての市民に関わることが書かれます。そのため、最初に目にする前文は、子どもから大人まで誰にでも分かりやすく、読みやすく、趣旨が分かるようなものとします。
0-2:「『これまでの100年』と『これからの100年』の大きな転換」とは、時代を大括りにとらえ、明治維新以降、官が中心に公共を支えていた社会のあり方を、持続可能なまちづくり(幸福感を持って暮らし続けられるまちをつくっていく)のために、市民も主体的に公共を支えていく社会に転換していくという意味です。


● 素案

わたくしたちのまち小田原においては、自治会活動や市民活動等の自発的な活動が
まちを支えるものとして一翼を担ってきた。
地域主権の時代が幕を開け、人や地域の絆を再生し、人と人とが支え合う社会をつくり出すことが求められている今こそ、これまでのまちづくりの取組を生かすとともに、市民一人一人が小田原のまちをつくる担い手として自ら考え、行動することが求められている。
そして、わたくしたちは、持続可能なまちづくりのために、お互いに尊重し、対話し、連携し、協力し合いながら、それぞれの役割を果たさなければならない。
わたくしたちはここに、小田原における自治の基本的な考え方を明らかにし、小田原をより一層生き生きと暮らし続けることができるまちとするために、この条例を制定する。


● 条例

わたくしたちのまち小田原においては、様々な地域活動や市民活動などの自発的な活動がまちを支える一翼を担ってきた。地域が主役となる時代が幕を開けた今、人と人とが支え合う社会をつくり出すためには、これまで以上に市民の力を生かし、人や地域の絆を再生し、これまでのまちづくりの取組を生かしながら、市民一人一人が小田原のまちをつくる担い手として自ら考え、行動することが求められている。そして、市民、議会及び行政といった自治の担い手がお互いに尊重し、対話し、連携し、協力し合いながら、それぞれの役割を果たしていくことが必要である。
わたくしたちはここに、小田原における自治の基本的な考え方を明らかにし、市民がより一層生き生きと暮らし続けることができるまちとするため、この条例を制定する。

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小田原市自治基本条例研究 2 相互の情報発信

小田原市自治基本条例について、第一回は補完性の原理について書きました。今回は「相互の情報発信」について解説と意見を書きます。この条例で評価でき、今後の市民活動に活かしたい部分です。

第14条について、条例文、素案、骨子案を比較してください。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
● 条例文
(まちづくりに必要な情報等の共有及び活用)

第14条 市民及び市は、まちづくりの取組を効果的かつ継続的に進めるため、まちづくりに必要な情報、知識、技能等を適宜、適切な方法により相互に提供し、共有し、及び活用するよう努めるものとする

● 素案

(情報の共有及び活用)
第14条 市民及び市は、まちづくりへの取組を効果的かつ継続的に進めていくため、まちづくりに必要な情報、知識、技能等を適宜、適切な方法により相互に提供し、共有し、及び活用するよう努めるものとする。

● 骨子案

6-1-1:市民、地域活動団体、市民活動団体、議会、行政は、自治の創造、みんなの幸せ、まちが元気になるための情報を、双方向に発信し合い、共有し、活用していきます。

6-1-2:まちづくりに関する情報は、必要な時に、必要とするところに適切に届けられ、必要とする人が容易に取得できるようにすることが必要です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
素案がほぼそのまま条例になっています。情報共有については、かなりの程度意見を述べた事を覚えています。委員としての思いが、条例に反映されているとの思いを持てた部分です。

情報共有については、小田原市の自治基本条例は画期的であると言えるかもしれません。それは「相互に」という言葉が入っている事です。行政の持っている情報を市民に公開しなくてはいけないと言う条文をもっている自治体はかなりの数になります。市政の情報を市民の要求により公開する、さらに積極的に開示していく事を規定する条項は、今ではかなり普遍的に見受けられます。これらは、行政つまり公から私への情報提供、情報共有についての一方的な規定です。

ところが、「相互に」との一言により、市民から行政、私から公への情報提供も努力規定となっています。まちづくりのためには、市民も行政に対して情報、知識、技能などを提供する努力をしなくてはならないと言うことです。

情報公開の権利は歴史的に市民がすこしずつ獲得して来たものでした。

過去には、公は独占的に情報をもち、民には公の事は知らされないものでした。戦後、情報公開の要求がなされ、徐々に行政の情報公開規定がつくられ、一部の市民が情報公開請求を行うようになりました。

ただ、大部分の市民は公開請求をする事なく、情報の存在も認識していない状況に、さらに積極的開示の規定もつくられ、市政情報センターのようなものも各地に作られました。まだまだ、不十分ですが、公の情報を公開する思想はかなり進展して来たと言えるでしょう。

近年、民の力の向上や情報化社会と呼ばれる時代になり、今や「公」のもつ情報より、民のもつ情報の方が高度な場合が多くなってきました。特に専門家の少ない市町村においては、民のもつ情報や知識の方が圧倒的に高度になっています。

ですので、過去のように行政に対して、情報公開を要求して不備な点を糾弾していくような事だけでは、まちづくりが良い方向に進まない時代になつて来ています。行政の企画力より、民のもつ企画力や行動力が高度になっていくのは時代の趨勢です。このような時代の公と私の関係は、糾弾型、おねだり型から、積極提案型、協働型に進化していくべきです。このような意味で、委員として「双方向性」について繰り返し言及して、それもあって最終的に「相互に」と言う文言が残されたのは大きな成果と思っています。

自分は、委員会で情報公開について、双方向性とともに、繰り返し意見を述べた事として、情報の「リアルタイム性」があります。情報公開も時期が不適切であれば、情報の隠滅と変わらない事になります。開発や大規模公共施設の建設情報などが、設計図も完成した時点で公開されても市民は意見を述べる機会を失ったり、調査費などの大きな無駄を生じます。できるだけ細かく、将来はリアルタイムに情報共有される事により、より効率的にまちづくりが可能になります。

双方向性とリアルタイム性を主張した根底には、SNSを始め、近年の情報システム、社会システムの発展が頭にあります。Facebook などを使えば、数分れべるでリアルタイムかつ双方向の情報共有が可能になります。自治基本条例と並行していた行財政改革検討委員会での議論なども参考にしました。

情報の双方向の共有は、もちろんデジタルの手段だけでなく、市長への手紙や、パブリックコメント、市民委員による委員会、大きく言えば議会制度そのものも双方向性を担ってはいます。ただ、その緻密さや専門性、リアルタイム性には不足する所があります。

条例には「適宜、適切な方法で」と一言ありますが、その背景には、今後相互の情報共有を適切な時期に行う手法を創造していかなくてはいけないとの意味が込められています。「リアルタイム」のような用語は条例文にはそぐわない事から「適宜に」との用語になっていますが、時期を逸した情報公開は条例違反になるのかも知れません。

よく読んで頂ければ、かなり画期的な内容の条文である事が理解して頂けるものと思います。小田原市では、このような方向性の広い意味での情報共有が試みられています。オープンスクェア方式、市民ホール検討委員会での専門委員会と市民委員会との形式、市のfacebook の利用など少しずつ試みが進んでいるものと理解しています。

ただ、制度がつくられ、システムが構成されても、市民の「書込」(相互の発信)がなくては、制度も絵に描いた餅になります。情報の市民からの提供を義務や押しつけと捉えるのではなく、情報公開の流れの中で獲得してきた権利や成果と捉えて、多くの市民が積極的に情報の提供をしたいものです。


骨子案との比較で、条文では不明瞭になった部分があります。


「必要な時に、必要とするところに適切に届けられ、必要とする人が容易に取得できるようにする」との文面ですと、多くの人に明確ですが、条例文では分かりにくいと思います。でも、これらの意味が、縮約されて込められているとの委員会での議論があった事を記憶しています。

骨子案では「市民、地域活動団体、市民活動団体、議会、行政は」と、主語に並べられています。条例では「市民及び市は」となっています。条例の定義項目との精査が必要ですが、少しずれている部分もあります。情報の双方向性、リアルタイムでの共有は、あらゆる立場の間でも推進されるべきものです。もし、抜ける主体があるとすれば、議会基本条例や、諸条例で同様に規定する必要があるかも知れません。

それから、情報共有が「まちづくりを進めるため・・」と限定した形になっています。まちづくりではない市政の部分では、情報共有しなくては良いのか。まちづくりとは何か・・・定義項がないだけに、気になる所です。

相互の情報提供、市民からの情報提供という事で、昔の日本の隣組制度や、旧社会主義国家での密告制度などを思い浮かべる人もいるかも知れません。そのような意味ではない事は、次の条項で「個人情報」について規定してある事と並べて解釈して頂ければ理解して頂けると思います。また、まちづくりと限定した意味もここにあるかも知れません。

近年、小田原市では、市民と行政の協働が少しずつですが、より進みつつあります。市民が市に提供するのは情報だけでなく、知識、技能なども含まれます。市の文化振興のために、自分達の芸術やものづくりの技能などで参加する事も、広くこの項には含まれています。


条例を良く読み込んで頂き、その到達した成果をより発展させるために、より積極的にプラスの価値をもつ情報や知識・技能を市民の側から主体的に発して頂きたいと願っています。この条項に関わった一委員としての意見とお願いです。


 元 自治基本条例検討委員 森谷昭一


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小田原市自治基本条例研究1 補完性の原理

本年1月1日より小田原市では自治基本条例が施行されました。昨年度まで2年間に渡り、自治基本条例検討委員会市民委員として制定に関わった経緯から、この条例について解説と意見を順次、この場で発表させて頂きます。

系統的ではなく、思いついた項目から、随時解説と意見を書いていきますので、御意見などコメントください。

第一回は、5条の (市民の役割) についてです。条例はこうなっています。


条例
(市民の役割)
第5条 市民は、まちづくりに参加する権利を生かすため、自らの行動に責任を持ち、それぞれの持つ力及び費やすことができる時間を使い、自発的にまちづくりに関与するよう努めるものとする。

それに対して素案ではこうなっています。


素案
第5条 市民は、まちづくりに参加する権利を生かすために、自らの行動に責任を持ち、それぞれの持つ力及び費やすことができる時間を使い、自発的にまちづくりに関わるよう努めるものとする。

2 市民は、自治の担い手として自ら解決すべき課題については、自ら解決するよう
努めるものとする。

較べて頂いて、お分かりのように第2項が条例では削除されています。素案として全市民に公開して意見を求めた後に、条例案がつくられましたが、その段階で削除されています。

素案のさらに前の段階の「骨子案」では次のようになっています。素案、条例案は行政の案ですが、骨子案は検討委員会としての「市民案」とおおよそ考えてください。

骨子案
(市民の権利と役割)
2-2:市民は、まちづくりに参加する権利を活かすために、それぞれの持てる力や時間を使って、自らの行動に責任を持ちつつ、自発的にまちづくりに関わることに努めます。

2-3:市民は、小田原市の自治を支える当事者として、自ら解決すべき課題は自ら解決することに努めます。

2-4:市民は、自ら解決できないような課題に取り組んでいる地域活動や市民活動を、応援していくことに努めます。

最終の条例案で削除された事項は「補完性の原理」と呼ばれるものです。

ウィキペディア

補完性の原理は、自治をできるだけ小さな単位で行い、それではできない事だけを大きな単位で行うべきと言う考えです。

市町村で出来る事は市町村で行い、どうしても出来ない大きな事は県や国で行う・・そんな地方自治の原理になります。 地方分権の原理にもなっています。

さらに、細かい単位、家庭で出来る事は家庭で、それで出来ない事は地域で、それでも出来ない事は市町村でといった市民自治の原理にもなります。

最終的は個人や小さな市民団体など小さなグループで行える事は、自ら行うと言う個人の力を重んじる基本的な考え方につながります。

この条項が削除された時点で、小田原市基本条例は、存在意義を大きく減じています。検討委員会の長い議論が、なんだっのか・・そんな思いすらありました。

この条項が残ったら、小田原市自治基本条例は、それなりの評価を受けたのではないでしょうか。

素案にあった項目が条例案で削除されたのは、素案に対するパブリックコメントによるものとされていますが、意見でこの項について明確に反対している意見はなく、次のような質問だけでした。


市民意見 →「自ら解決すべき課題」とは、具体的に は何を指しているのか。

市の考え → 第 5 条第 2 項は、「自分で解決できることは自分で解決に努 め、自分で解決できないことは、その内容に応じて、地域活 動や市民活動、あるいは、市・県・国によって支える」という 趣旨を規定したものです。「自ら解決すべき課題」とは、例え ば身の回りで発生する個人で解決することができる問題を 想定していますが、自明のことでもあり、この条項は見直しま す。

との事だけで、見直して削除されています。
意見とそれに対する市の考え

自明と事であるから、見直しして削除すると言うことなら、この項は1項の解釈として当然生きているという事でしょうか。自ら解決すべき課題を、身の回りで発生する個人では解決する事ができる問題・・と矮小化してしまっては、自治の基本哲学を失う事になります。

推測にしか過ぎませんが、この条項が「行政がやるべき事を市民に押しつける・・」、そんな意図にとられかねないから削除すると言った思惑が働いたのでしょうか。検討委員個人としては知りようもありませんが、長い議論をないがしろにされた感を持ちます。

小田原市では近年、「地域別計画」とか「地域コミュニティ」などが推進されていますが、市政をより小さな単位に任せていくと言う動きの基礎に、この条項はなった筈です。

この条項が、行政がすべき事を市民に押しつけるとか、市の責務を放棄する・・・等と捉えるとしたら、まだ市民社会への意識が未成熟と言われて仕方がないかも知れません。

「補完性の原理」は市民の権利の保障と同等の概念です。より小さな単位が、大きな単位に支配されない、個人を圧政や公の怠慢などから救うための権利保障と考えるべきです。

また、自分達で努力しても出来ない事は、より大きな単位である行政に委託できるという権利保障にもつながります。この条項がある事により、市民と行政の関係が明確になり、市民による行政への委託宣言にもなりえたと考えられます。

また、「骨子案」では、さらに 2-4 に 市民は、自ら解決できないような課題に取り組んでいる地域活動や市民活動を、応援していくことに努めます。とありますが、行政に委託するとともに、市民自らが地域活動や市民活動を「応援」するとあります。これは「相互扶助」「民と民の関係」によって問題解決をすると言う方向も示しています。

大きな災害時など日本人は相互扶助により困難を乗り越えたとして各国から評価されました。そのような地域の力や民と民の相互扶助の社会システムをより進めていく条項になった筈です。


補完性の原理については、また書きたいと思いますが、市民による検討委員会のこの条項が削除された時点で、市民による自治への委託と言う自治基本条例の骨格が失われたと、一委員として考えています。

法は法・・ですので、議会によって承認された条例は市民として受け止め、その趣旨を活かしていくべきと考えます。また同時に、見直し条項のあるこの条例ですから、将来の改正に向けて議論を始めていいきたいと考えます。 みなさんの御意見をコメントして頂ければ幸いです。
           
                         元 自治基本条例検討委員 森谷昭一


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小田原市自治基本条例の修正案

小田原市市議会予算特別委員会の議決で、ふたつの修正案のひとつとして自治基本条例に対する習性案が出された。

「施行日を平成23年4年1日から平成24年1月1日に改める。」

 条例の本文はそのままで、施行時期を9ヶ月だけ遅らせるとの修正案である。理由としては

「小田原市自治基本条例の施行日を9ヶ月先送りし、市民への周知期間を十分に設けるため」

とのことだ。

良く分からない。もう議決した条例を施行日だけを先送りして、その間に市民は何ができるのだろう。反対することも、賛成することも、対案を考える事もできないまま、「周知」されるのをまつだけなのだろうか。

はっきり、否決するなり、継続審議のような形にすべきだ。また、この条例は、その他の検討委員会で討議された諸計画や、基本計画とセットのもののはずだ。その遂行時期とずれては何の意味があるのだろう。

もともと、基本条例が先に出来て、それをもとに様々な計画が体系的に進められるべきものである事は先に述べた。中心的な基本理念が、少し遅れて施行されるのは「良く分からない」。

  ○○ 良く分からない・・基本条例 ○○

「良く分からない」「分かりにくい」とは、最初の段階からあらゆる方面から自治基本条例に対して言われ続けた事だ。法学も不得意なわけではない。委員として良く分かるように勉強もしたし、いろいろな方に説明するように心がけた。

でも、委員のひとりとしても、途中から「良く分からない」状況になっていった。趣旨もはっきりせず、たくさんの方に集まって議論して頂いたが、良く分かる状態にはならなかった。部分部分は分かるが、全体として「良く分からない」状況だった。

オーブンスクェアなどでの議論には「良く分かる」部分も多かった。それが「骨子案」になる過程で、良く分からないものになっていった。素案、条例案となる過程で、ますます分からないものになっていった。

不適切な抽象化が内容を分かりにくくしたとともに、所謂「霞ヶ関文法」の段階でも、分かりにくくなり、大切なものが消えて、どこからか色々な要素が付け加わった。

そして、最後の良く分からない事が、今回の修正案だ。何か疑義があるなら、条例本文に対するなんらかの修正案を出してもらいたかった。それでこそ、市民の代表である議会の役割だろう。

良く分からない中で発議され、良く分からないまま、議論され、良く分からない過程で、多く誤解が誤解を積み重ねたとの印象が強い。賛成する方も、反対する方も、議論中身を十分に知らないままだ。

意見がかみあわないままま、あるゆる誤解と妥協の産物が、今後何か新しいものを生み出していく筈がない。賛否両論の意見を、もう一度戦わせて、「総意」をつくっていくべきだろう。決まったものを修正もできずに、周知されるのを待つだけの市民というのは、一体何なんだろう。

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自治基本条例検討委員市民公募の論文

自治基本条例の市民公募の検討委員として、応募の際に提出した論文です。こんな意図で、自治基本条例検討に臨みました。最後まで変わらなかった、自分としての考え方の基礎です。

「民の優位」「新たな民と公の関係」を構成する事が目標でしたが、残念ながら、そのような事は果たされなかったと言えます。いつか、そんな機会があれば、遠い未来のどこかで、叶えたい事のひとつです。

・・・・・・・・論文・・・・・・・・・・・・・・・・・

 私は本町の滄浪閣跡の近くに住んでいました。伊藤博文の元で民法が起草された場と知り感慨深いものがありました。小田原は民法発祥の地です。

明治から今日まで、中央から地方に知識・情報を分散していく体制が続き、その一方的な流れによる画一化が地域循環の輪を断ち切り、環境問題や不安定な心のあり方を生んだとも考えられます。

地方の時代と提唱されて来ましたが、時代の岐路に立ち、さらに踏み込み、創造発出の主体を多様性の源泉である個々の現場に移し、知識流通の方向を転換させる事が望まれます。

森や環境を守り、子供達を育てる営みは、不安定な政策に翻弄される事なく、長期にわたる安定的な営みの継続・継承が必要です。民法・私法分野で扱われるような民の力の永続性と安定性によって営みが担保される事が大切です。市民、議会、行政、それぞれ真剣に課題に取り組んでいるにも関わらず、色々と齟齬をきたしている現状もあります。

情報の理想的な流通の見方からすると、中央集中システムでは埋め尽くす事のできない空白領域ができているためと思います。この空白を探しだし、民と官の関係、議会のあり方、営利と非営利活動の関係、学問や教育の関わり等、新たなシステムを構築できる座標系や枠組みの構築が基本条例に望まれます。

条文を形式的に制定するだけでなく、議論の過程で、具体的に地域の輪が再構築されていけば、民法発祥の地での法体系の転換の記念的な取り組みとしてさらに意義深いものになります。

弘化三年、小田原藩は二宮金次郎の報徳仕法を廃止しました。富国に対する富民の指向に基づく分度の法が受けいられなかったとの論があります。

民法発祥の地である小田原で富民の姿勢、民の優位の思想を内包する先進的な基本条例が制定されれば金治郎の無念の思いが歴史を超えてはらされる事になります。具体的な営みと結びつく、より先進的で深い内容の自治基本条例となる事を期待します

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総意のモニュメント

創作短編

  総意のモニュメント 

小田原の自治基本条例の検討過程を通じて、思い出した、ある短編物語があります。


 ある彫刻家が、町を象徴するモニメントを町長に頼まれました。それを見て、みんなが未来のまちづくりに夢を描けるようなモニュメントです。自分のアイデアで一気につくろうとも思ったのですが、みんなの総意で作れと言われたので、部分部分をみんなにも作ってもらう事にしました。

 ある人は魚の形。ある人はミカンの形。リンゴの形。梅の形。ある人は泳ぐ人の形。 ・・・・もう、まちの人数だけの形が出来て、全部つなぐと何の形だか分からない塊になってしまいました。そこで、ミカンも梨もリンゴも果物としてまとめる・・・梅も桜も花としてまとめる・・・そんな風に抽象化していく事にしました。それを繰り返したら、きっとみんなの「総意」になると思ったからです。

 骨格のモニュメントをつくり、みんなに示して、気に入らない所は削ってもらう事にしました。骨格モニュメントは、みんなが文句をつけて、腕がもがれ、枝が削られ、だんだん小さくなっていきました。

 不都合な所が削られつくして、しっかりした「総意」のモニュメントができました。除幕式で現れたのはなんと、町の名前が小さく刻まれたゆがんだ石でした。どこにでもある町の看板みたいです。

 それから数年が立ちました、駅前の看板が未来を切り拓くモニュメントである事は、今は誰も知りません。

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3月4日 自治基本条例の市議会予算委員会での審議

自治基本条例が市議会予算特別委員会で集中審議され、傍聴した。自治基本条例検討委員として、初期から関わってきた一市民として、最後まで見届けたいとの気持ちからである。

 傍聴者は、自分ひとりだった。予算委員の市議の皆さんの論調も、概して厳しいものだった。「必要性は認めるが、様々な点で問題がある」との意見が多かった。市議の皆さんの意見は多様に渡るが、主要なものをメモした。

1 オープンスクェアなどの参加者など、一部に限られ広範な市民による意見集約ができていないのではないか。パブコメなども期間が短い
2 自治会についての記述は、様々な点で問題がある。
3 行政の下働きとしての市民活動と捉えられかねない内容である。
4 基本条例として、他の条例との関係について。
5 市民に課題を課すよりも、行政に対する責務をはっきりさせるべき。
6 具体性に欠けて、何を目的とするかはっきりしない。

その他、様々な細部の解釈など疑義が出された。

 それぞれ一委員としても、同感できるものも多かった。

 短い条例の形になって、その下に含まれる意味が伝わっていない。初期から成立過程に関わってきた立場としては、、きわめて残念だ。確かに、条例はその文面だけが独立して解釈される。それだけ誤解されやすい条文になってしまったと言う事だ。

 第一回のオープンスクェアには多数の市民に参加していただいた。回を重ねる毎に、人数は減っていき、委員としては寂しい成り行きだった。それでも、カードに書いて頂いた膨大な意見の中には貴重なものが多かった。それを集約していく段階で、多くのものが消えてしまった。ひとつの意見も無駄にしない集計方法なども提案したが、自分の力不足で意見集約の技法を確立できなかった。

 集約され、概括され、抽象化した意見は、「骨子案」という形でまとめられたが、市民意見から浮かび上がった結晶物ではなかった。最終段階で一般事例などをもとにした枠組みの中に当てはめるという手法になってしまったために、ここでも市民意見の多くは消えていった。

 骨子案から「素案」となる過程は、行政の仕事だった。一度だけ、委員会で素案に対する意見を述べる機会があつたが、それが委員会の最終回であり、時間不足のまま、あっけなく委員会は終結した。骨子案と条例素案は、公表されているので、良く較べてみて欲しい。何が消えたか、何が付け加わったか。市民力と言う言葉は委員会の出した骨子案では最後まで出なかった。

 その後、短いパブリックコメント期間があったが、委員として、その意見はみせてもらっはいない。最終の委員会以後、委員どうしや、行政と連絡する事もほとんどなく、最終回より検討委員の手を離れて別の世界で動いていったとの感覚だ。

 その後、さらに、市民意見の聴取などの手続きがされて、さらに条文が書き換えられた。特に5条の
「市民は、自治の担い手とし自ら解決すべき課題については自ら解決するものとする。」が削除された事は、ほとんど条例の意義を失う削除に近い。もちろん記述が悪く、「行政にたよらず、自分でやれ・・」みたいな捉えられかねない条文ではあった。そんな意味で意見により削除されたのだろう。

 これは本来「自ら解決できる事は、自ら解決して余計な干渉は受けない権利」を市民が持つとの意味で記載されるべきものだ。いわゆる「補完性原理」であるが、趣旨を理解してもらえる条文案にはなったいなかった。自治の基本精神であるが、これが最終段階で削除されては、ほとんど意味のない条例になってしまったのではないか。

 その他、最終までに消えていった事項は多数ある。市民の意見により、市民の立場で作っていくとの趣旨が説明されたが、最終的にみれば、それは叶わなかったと言って良いと思う。

 27回の検討委員会とオープンスクェア、意見交換会、さらに集約作業など多くの回数の会議をしてきた。自分は欠席は一度だけで、多分出席率は一番良いと思う。細かくその成立過程を見てきた一公募市民としての独断的感想であるが、この条例は決して市民意見によって作られたものではない。他の条例文を参照しないで作っていくとの方針がかえって、他市の事例の表面的な焼き直しになってさせてしまったようだ。

 繰り返すが、あくまでも一委員としの独断的意見だが、この最終条文は自分達の議論していた内容とは随分と離れたもので市民意見によって作られたものとは言えない。

 委員としては、このような事を言うのは好ましくないのだろうが、この条例案は、市議会で否決される事を望む。このままでは、市民憲章となんら変わらない、実行性のない、単なる飾りの条例になる。それによって市民の力を鼓舞するものでもない。

否決されて、「継続審議」となり、「検討委員会差し戻し」にでもなれば良い。そうしたら再度、はじめからやり直したいとおもう。

 さらにより多くの市民に参加してもらい、新しい市民自治の理念や、現在進められている様々な現場での取り組みを基礎付ける条例をつくっていけるのではないか。市議のみなさんも、必要性は感じるが、様々な問題があり、つくるなら、もつとしっかりしたものを・・との意見だったように感じる。

否決されて、それをきっかけに、多くの市民に再度、議論してもらったら良いのではないか。

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